先日、お供が原因不明の肺炎で一時危なかったお話をした。

その話には続きがある。

今の日本の医療について、大きなことを話す知識はないけれど、病院に行き過ぎると言うのは問題かもしれないと思っている。お供の肺炎の本当の理由は分からない。けれど、過剰に飲んでいた薬が、とても怖いと思っていたことも事実で、お供は皮膚のかゆみをずっと訴えていた。多すぎる薬に原因があるのではないかと疑っていたが、病院でお薬手帳を記録しているのに、誤った薬を処方されることもないのではないかとも思っていた。

その薬を止め、新たに処方されたものだけに変更になり、皮膚のかゆみが減った。体の調子も悪くない。もちろん肺炎も治った。

これが全てを表していないだろうか。

何年か前、お供の一人は血管の詰まりの検査をすると言うことで、その検査を受けたことがある。その結果、首の太い血管が2本あり、その1本が73%詰まっていて危険なので、血液サラサラの薬を変えたいと言われた。そう言われると本当かと思い薬を変えてもらった。

しかし、それから何年か後、別の病気で手術を受けなければならなくなり、その薬を一時止めなくてはならない事態になったとき、脳梗塞を患ったことがあったお供を診察してくださった先生に連絡を取ってもらうことが出来、確認してもらった。「どうしてこんなにきつい薬飲んでるんだ?」と言うことだった。かかりつけの病院では、太い血管の2本中1本の詰まりが危険とのことだったのに、実はその血管は前後にもあって、計4本ある。その内の1本だけが詰まりかけているだけで、残りの3本は全く問題がない。1本万が一詰まったとしても、全く問題ないとのことだった。

この話をお供たちから聞いて、日本の医療に少し疑問がある部分を感じた。担当するお医者様の見解によって、様々な診察結果があることは確かだろう。けれど、医療について全く知識のない一般人にとって、お医者様のお話が全てのように感じてしまう。セカンドオピニオンと言う方法もある。けれど、命に関わる病でないと、なかなかセカンドオピニオンをする人は少ない。言われるがままだ。

血液さらさらの薬をきつい薬に変更された先生は、独立して病院を経営されているが、自分はその病院に今後お世話になるつもりがない。

自分が出来るだけ知識を持ち、全く分からないではない状況を自らが持たなければならない時代へと突入しているのかもしれない。

薬は、体を正常に保ったり、苦痛を少しでも楽にしたりするすばらしいものではあるけれど、あまりに乱用しすぎることは危険な場合もあることを知った。