人の数だけいろいろな考え方があることは、もちろん知っていることではあるけれど、日本語に「理不尽」と言う言葉があって、昔、何かでこの「理不尽」と言う言葉を目にする機会があったことから、そんな言葉を使うことがあるのだと思ったことを、今、また思い出している。

「理不尽」とは、道理に合わないこと。「道理」とは、当然のみちすじ。「当然」とは、当たり前のこと。「当たり前」とは・・・切りがない。

世の中には正義をかざして悪い行動を取る人は多いし、何かにつけて自分を正当化する人や、自分が誰かに「理不尽」な思いを抱かせていると気付かずに行動している人は多い。気付かずの行動ほど人を傷つけ、後悔しても取り返すことが出来ない事態を招いたりする。人を導かなければならない人であっても、一度逸れてしまった道を正すことは難しいし、過去がどれほど立派な人であっても、その時間に浸りすぎるとやはり良い人ではなくなってしまうことが多い。

最近よく思う。生きているこの時間は修行の時間なのかもしれない。

自分のこの命が尽きるとき、初めてどんな人生だったのかを知ることが出来るのだろうと思う。

人は神ではない。だからこそ、誰かが誰かの命を絶やすことは、とても重罪なのだと思う。絶えてしまったその人の命が、自らを省みる時間さえも奪ってしまうのだから。

人の数だけいろいろな考え方がある。それでも、やってはいけないことがあると、止めてくれる人がいないことはとても悲しいことだと思う。

気付けないことは、なんて愚かな人なのだろうと思う。

その「理不尽」に倒れてしまった命に、倒れそうになっている命に、ただ祈ることしかできないけれど。