山椒の実の佃煮をいただいた。とても柔らかく、美味しい。

毎年貴重な物を頂戴していて、本当に嬉しい。

我が家にも山椒の木があるけれど、とても危険な場所にあって、年齢が高くなったお供の者たちには収穫が厳しい。

こんな話をするのもどうかと思うのだけど、お供の片割れはこの冬、命を落とすかもしれない状態に陥っていた。原因不明の肺炎による高熱と酸素飽和度が83%に低下。新型コロナかもしれないと救急病院では診察してもらえず、かかりつけの病院で検査してから来院するよう言われ、夜通し救急病院で7時間程診察順番を待った翌日、更に数時間待って、やっとかかりつけの病院で再度PCR検査してもらえることに。

高熱のお供の片割れはそのまま亡くなってしまうのではないかと思いながら、翌日でないと結果が出ないからと抗生物質や解熱剤をもらい帰宅。その日の夕方、やっと入院することができた。新型コロナではなかった。

入院しても原因がなかなか見つからず、根気よく総合内科の先生が対応してくださった。入院からかなり日にちも経っていたある日、病院から可能性としての話で、このまま酸素飽和度が戻らない場合、最悪の事態も考えておいてほしいと言われた。帰ることが出来ないかもしれないとは思ってもいなかったので、家族全員がその夜、自分たちを責めた。翌日、お供の片割れと日切り不動尊(いつもよくお参りに行くお寺)にお参りに行き、いつもはお願いはしないのだけど、この日はお願いをした。それはとても残酷な酷いお願いで、入院しているお供の片割れの母親がかなりの高齢であったので、もしその命の灯される日数が残っているのなら、お供の片割れと代わってほしいと頼んだ。認知症を20年以上前から患っていて、施設のお世話になっていた。早く亡くなってほしいとは思っていなかったけれど、100歳を超えて数年、だったらと思って残酷なお願いをしてしまった。

たぶんこのお願いは、一生自分の中で懺悔していかなければならないことなのだろうと思った。

その夜も総合内科の先生からいろいろな可能性を考えて、自宅で想定される皮膚からの細菌の感染の可能性がないかの問診、寝室の環境などいろいろ話を聞かれた。次の日、とても元気そうにお供の片割れから電話がかかり、皮膚科へ行った話や、かかりつけの病院で処方してもらっていた薬の停止、新しい薬への変更などがあったと聞いた。高熱が続いていたことでせん妄も出ていたのに、劇的な回復の様子。その日、総合内科の先生から原因が特定できた訳ではないが、酸素飽和度も改善、酸素吸入もなくなり、通院で対応しようと思うと言われた。

それと同時に、お供の片割れの母親は命が尽きようとしていた。

お供の片割れの病を、持って行ってくれたのだと思った。懺悔の気持ちはある。けれど、お願いしたことに後悔はない。残された時間がどれくらいなのか分からないけれど、感謝をした。

こんな不思議な体験をした今年、長期の高熱と酸素不足による体力の低下が著しかったお供の片割れ。それでも、少しずつ体力も戻り、何かをしようとする気持ちは回復しつつある。そのお供の片割れの好物が山椒の実の佃煮。危険な場所にある山椒の木には近づいてはいけないと言っていて、今年は3本、山椒の木の苗を危険でない場所へ植えた。植えた木から実が収穫できるようになるまでには、まだまだ数年かかるだろうけれど、せめてその実を1度でも収穫できる日まで元気でいてくれると嬉しいと思う。

今年は、いただいた山椒の実の佃煮を美味しくいただき、時間を持て余しているお供たちのために、少しの山椒の実を購入してきた。