学生の頃、必須科目の講義の間の時間つぶしに哲学を受講していた。

別に単位には関係なかったけれど、時間の隙間を何とか埋めたいと安易な考えから選択した科目が、当時の自分には意外と面白かった。講師の先生は毎回夢見るような眼差しで、遠くを見ながらうっとりとした顔で講義をされる。そのうっとりした姿が自分には何とも面白かったのだ。

けれど、社会人になって一番大切なものは哲学かもしれないと最近は思う。

どんなに知識が多くあっても、どんなに技術が広くあっても、哲学的思考が出来ない人にエンジニアの仕事は出来ないとつくづく思う時がある。毎回学ばなければ、良いシステムにならないのだ。オリジナルのシステムを開発し、ご提供する仕事を何十年も行っているけれど、陥りがちなのは、自分の考えだけをお客様へ押し付けるだけでは良いスシテムには仕上がらないと言う現実。相手の気持ちに立った視点、操作を勉強しなければ、良いものへと仕上がらない。

この夏、短期間でスタートさせるプロジェクトに携わることになり、毎日睡眠時間を削り、休日を削り、カレンダーを睨みながら依頼の開発に打ち込んだ。

けれど、スタートさせた途端、大きなトラブルは発生しなかったけれど、システムの使い心地は、自分の中でだけテストした動作設計に基づいたものであって、使う方の仕事の手助けには足りないものばかり。それでも、今ある機能を使って日々の業務を終わらせて下さるスタッフの皆様に頭が下がる思いで、何とか使い勝手の良いものへと変化させられたらと思いながら、今も追加改修を行っている。

そんな中、先生が、いつも空を見上げ、全てのものにうっとりするような眼差しで、哲学のすばらしさを講義されるのを思い出していた。もし、あの時間に戻れるなら、哲学って大切なことでしたと伝えたいなと考えている自分が今いる。

豊岡市小田井町。小田井神社(小田井縣神社)。

鳥居を抜けた場所で神社を守る木。

毎年、社員一同お参りする神社の一つ。緩やかに時間が流れる神社で、心穏やかになれる神社。

ここの社務所でお守りを頂くのにお迎えくださるご年配の神主さんは、とてもほっこり対応をして下さる。当たり前のことが、当たり前ではない時代。とても暖かく感じるひと時を分けて下さった。

また来年、お参りさせていただきます。