人材を募集しても、なかなかモノになるような人間力を持った人は応募してこない。

以前、ある学校の就職担当の方からこんなことを言われたことがある。

「例えば、募集要項を見た人間が全てあなたのところに応募するとは限らないですよ。いや、それどころか、あなたのところとB社が同じように募集を出して、求職している人が魅力を感じるのはB社ですよ。会社の規模が違いますから」

その学校の生徒が、弊社を見学したいと言ってこられて、快くお受けしたけれど、その生徒は弊社に魅力を感じたわけでも、仕事の内容に興味を持ったわけでもなく、ただ家に近いから、夏季休暇があるから、転勤がなさそうだから、仕事が楽そうだからが理由たっだ。

もちろん、お断りした。それに対しての言葉がそれだった。

弊社は一生懸命に仕事をしている。お客様の大切な仕事の一部を任せてもらってシステム開発をしたり、機器の選定搬入設置、環境整備を真摯に行ってきた。何の知識も技術も興味もない人にとって、弊社の仕事はとても難しいものだと思う。けれど、数年努力することを怠らなければ、それらの知識や技術は身についてくる。ただ、興味が持てるようになるかどうかは本人次第のものだと思う。努力できるかどうかが入社後のその人を左右する。

会社に入社するためには、最初の印象は大切だと何故指導されないのだろう。企業の規模で良し悪しを決めるような発言を、指導する側がされることにとても疑問を感じた。その指導者がそうだから?確かに公的な機関の人だから、試験や面接を突破してその地位におられるのかもしれない。だからと言って、自分たちと比較して優位な立場なのだと言えるのだろうか。弊社の仕事の内容や実績、何を知っていてそんな言葉を発せられたのか。確かに規模も小さいので反論もできないのだけれど。

ただ、世界が疲弊し、もしも生きることが地位や立場を利用することができない世界に変わったとしたら、自分たちの力だけで生きなければならないその力は、そう発したその方自身も持っているだろうか。

ただ言えることがある。そう発した方の学校を卒業し、就職活動しても思たところがなく、自分のやりたい仕事に就くことが出来ずに数年経った卒業生が、知人の紹介で弊社で仕事に就いてくれることになった。今、とても面白いと言って、まだ1年であるのに主戦力となってがんばってくれている。

ちなみに弊社の社員は、皆知人からの紹介で入社してくれた者たちだ。全員がとても努力し、がんばってくれている。

人だもの、何かしらのクセはある。でも、みんな素直で真面目で真摯に仕事に取り組んでくれる良い人材だ。

一緒に仕事をする仲間として、人間力がとても大切だと思う。

自分が人間力がけして高いとは思わないけれど、社会人として当たり前のことを指導できる人間でありたいと思う。

人は誰でも失敗もするし、間違うこともある。問題はそこではなくて、それが何故誤っていたのかを理解し、軌道修正する力を持つこと。また、そのことを指導してもらえる環境があることへの感謝を忘れてはならない。

自分を高い位置に置いていて、後輩たちの指導が出来るはずがない。同じ目線、同じ立ち位置で感じたことを伝えなければ。