猫の通り道。
そんな狭い道路を行き交う車。譲り合う気持ちが現代の人々の中には小さいのだなと思うような口論を目の当たりにし、日本人としてとても切なく悲しい気持ちに包まれた日。こんな光景、しかも、こんな場所では触れたくなかった。
小春日和が心地よかったこの日、以前から行きたかった京都の三千院へ向かう。
人が多く、とても華やかな印象のお寺。
けれど、三千院に近い駐車場へ移動するには、交互に通らなければ通れないほど狭い道路で、すれ違うだけでも一苦労。自分はそこまで狭くなる手前の駐車場に停めて歩いていた。少し歩くと更に狭くなる道。すれ違うことが出来ない車と車。激しく言い合いが始まる。そんな知らぬ人のやり取りを耳にしながら、諍いが生まれた状態で参拝してご加護などあるのかなと訝しい思いを胸に参拝することになる。
中では、ずっと仏前に座り、長い時間をかけて祈る人。人と人の流れに押されて祈る時間も取れずに押し出される人。写真撮影禁止と言われていても、撮影する人。多くの神社仏閣へ足を運んできたけれど、こんなにも日本は崩れてしまったのかと思ったことはまれで、とても心が痛く、そう思ってしまう自分の邪気が空気中に拡散し、それらが更に周囲の人の心に侵入するのではないかと自分自身が抵抗し、格闘する心で疲弊してしまった日となった。
唯一、御朱印を頂いている間、とてもなめらかな筆運び、墨汁の色香、紙の上を筆が滑る音が心地よく、しばらく見とれながら過ごした時間が心地よかった。
このお寺は、最澄が開基したとされる。
最澄が広めたかった「一隅を照らす」。多くの日本人がお手本となって広まっていけばいいなと思う。