そのお寺には、とても多くの耳の病に苦しむ方々の絵馬が奉納されている。
三千院の脇を通る坂道をひたすら歩く。綺麗な小川が流れ、それまでの賑やかさが嘘のようにとても静かで、水の流れる音、山に住まう鳥の鳴き声、風に揺れる草が戯れる音、自分の呼吸が聞こえる。とても静寂な世界に引き込まれるようではあるけれど、とても緩やかな時間が流れている。
京都 来迎院。
『耳が聞こえるようになりますように』
音の無い世界を知らない自分にとって、想像すらしたことの無かった文字が連なり、苦しむ方々の気持ちが痛く突き刺さる。そう言えば、近しい人の中の一人が、長く耳鳴りに苦しんでいたことがある。一瞬の耳鳴りは経験があるけれど、ずっと聞こえる異音。それもどんなに苦しいことだろうと今さらながら思い出していた。
参拝する途中の、自然界から放たれる数々の音は、とても心地よく、日々の作られた音ばかりの世界とはまた違った、癒される音に触れられる場所であるけれど、それらを聞くことの出来ない方々が、どんな思いでこのお寺に足を運ばれたのだろう。
自分の恵まれた現状に、感謝しなければならないと思った。