ご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

本日より、弊社も仕事初めとなります。昨年以上を目標に、一歩ずつでも成長出来る企業であるよう、社員一同努力してまいります。

本年も、よろしくお願いいたします。

元旦に、神棚にお祀りするお札を拝受するため初詣に出かけるのですが、今年は全く待ち時間なしで駐車場に停めることが出来、更に、その駐車場の位置も、ものすごくよい場所ばかり。何やら今年は初めが良くて、嬉しくなりました。例年それほどの待ち時間の経験はありませんが、全く待たなくて良いところはありません。今年は本当に全く。勝手ではあるけれど、歓迎された気分になり、がんばろうと気合を入れる年初めとなりました。

そんな気持ちを忘れないよう。傲慢にならず謙虚な気持ちを忘れないよう。目標を常に高く持ち、達成出来る強い気持ちを忘れないよう。皆様と一緒に成長出来る企業となれるよう、常に初心に帰る気持ちでがんばりたいと思います。

今年もよろしくご指導下さいますようお願いいたします。

ご挨拶

この1年、弊社と共に歩んで下さいましたお取引先の皆様、私たちをパートナーとして選んで頂けたことを心より感謝し、御礼申し上げます。皆様のおかげで今年も無事、仕事納めの日を迎えることが出来ました。

今年は、自社ホームページのリニューアルを計画しておりましたが、お客様のお仕事が優先。当たり前のことなので、大きな声では言えませんが、延ばし延ばしとなってしまいました。来年度こそは、何とかリニューアルしたいと考えております。お知らせしておきながらの度々の延期で、本当に申し訳ございません。

また、ブログも、趣味の世界ばかりとなり恐縮ですが、コメント下さる方があり、とても励みとなっております。コメントの公開をしておらず、申し訳なく思いますが、今年はなかなか時間が作ることが出来ず、近隣の神社仏閣の訪問を中心としたものとなりました。けれど、近いからこそ気づかないことも多くあったり、忘れていた記憶も蘇ったり、自分にとってとても大切な時間を手にすることが出来た1年となりました。今後もまたご訪問下されば嬉しいです。

さて、私たちは独立して5年、今まで所属していた企業の中にいた時代、企業の小ささなど考えたこともなく、そこを不安要素に掲げられたり、自分たちの今までの活動をご存じでない方たちからは、突発的に素人が起業したかのように思い違いされていたり、なかなか理解されないことがあるのだと教えられた年となりました。それが、何かしらの力で発せられることに、とても残念に感じています。

そんなことが問題なのかと思い知らされる日々が続き、某テレビ局で先日までやっていた老舗企業の奮起の物語が、まるで私たちのように感じながら見ていました。

けれど、今まで気づくことの出来なかったそれらの問題を知る機会があったことは、今後の自分たちの活動には良い影響となっていること。そして、それらの苦境がかえって力となり、様々なことが鍛えられたことは言うまでもありません。そして、そんな力に影響を受け、大切な時間を費やすことの方が自分たちの為になるはずもなく、私たちは、昔と同じ信念に基づいてお仕事させてもらうことは、今後も変わることはありません。

そんな私たちに多くの信頼できる出会いやつながりがまだまだあること。更に、自分たちを信じ、仲間を信じ、逆に、次に何が出てくるのかわくわく感さえする自分たちがいます。苦しいけれど楽しいのです。

今まで所属していた企業は、全国規模の営業拠点がありましたが、私たちはずっとその場所に所属していた時から、今と何ら変わらない信念で仕事を続けてきました。私たちは、その時より更にいろいろな経験や知識を身に着け、現在進行形で仕事をしています。自分たちの知識や経験は、誰も盗むことが出来ないものであることを、自分自身が一番よく知っているからこそ、自分を信じ、仲間を信じることが出来ています。

そんな私たちを選び、共に歩いて下さる皆様との出会いは、私たちが独立して得られた本当に大切な財産です。

新しい年は、更に自分たちの知識を向上させ、皆様の一部になれることを目指し、努力してまいります。

今年1年、私たちと共に歩いて下さった皆様、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお付き合い下さいますようお願いいたします。

つぶやき

寒波の到来で、雪舞う今日。雪が空中でひらひらと舞う景色は、小さな天使が舞い降りてきたかのように儚く美しい。その美しい容姿に隠れ、冷たい空気が弓矢となって矢を放ち、頬にちくちくと攻撃してくる。白い天使の裏には、小さな悪魔が隠れている。

寒い。

少し前のこと。今にも雨が降りそうな空模様でも、登山人が多く歩いておられた日。京都はこの日も多くの観光客で賑わっていて、いつ訪れても人があふれている都。そこには人を魅了する歴史と、古くから残る貴重なものが多く、特に秋には普段公開されないものを目にすることが出来る機会が増える。そして神社仏閣の美しい庭と紅葉、野山の自然が生み出した景色が何とも風情があり、国内外の人々に癒しを恵んでくれる。

仁和寺。

仁王門の真ん前はかなりの交通量がある道路。正面から眺めたいのに、眺めるには道路の向こう側に行かないと正面が見ることが出来ない。凄いところに位置しているけれど、このお寺は徒然草に登場する歴史のあるお寺。そのお話はあまり嬉しいお話とはいかず、どちらかと言うと、人に教えを説くための失敗談として登場する法師様のお寺。けれど、見方を変えると、それは、今の時代にも人の生き方にほんの少しの知恵を教えてくれている。良いお話なのです。

御室桜。「おむろざくら」。

桜が有名らしく、桜の季節なら良かったのにと思うけれど、丈の低さや枝が横広く広がっている様や、花が無い分幹にに刻まれた歴史をうかがい知ることが出来る。それもまた貴重だなと思う。

金堂へ向かう階段の両脇にそびえる紅葉が深紅に近い色に染まり、本当に美しく、晴れならもっと色が鮮やかに映えていたのにと、少し残念に思いながら上を向いて歩く。

綺麗な深紅。

今年最後の紅葉に魅了されながら、広い境内を散策して歩く。

肌寒いけれど、凛とした空気が心地良い。

そこまで冬は近づいていたある秋の日。

 

つぶやき

大阪天王寺にある堀越神社。

茶臼山古墳のすぐ入り口に有料の駐車場が出来ていて、その入り口に芝生の公園があり、小さなわんことフリスビーを投げて遊ぶ子供連れの家族がいた。

楽しそうに笑う子供の声と、嬉しそうに飛び跳ねるわんこ。とっても幸せがあふれる光景の向こう側で、真剣に祈りをされる方が途切れない場所がある。この隔たりが、後に消える日が来ればいいなと思いながら参拝した日。

一生に一度の願い事を聞いて下さる。と言われている。

欲張りな自分が、ただ一つのことをお願いする。何て重いことだろう。

いつも通り、欲張った願いをしてもと思い、普通であることを望み、祈った後、神社を後にしようと思った瞬間、ものすごい数のお賽銭の音が聞こえ振り返える。そこにはとても真剣に、長く祈られている方の後ろ姿が見え、自分が恥ずかしく思え、この日、ここへお参りに来たことを後悔した。

一生に一度の願い事などと言う、そんな願いのない人はお参りしてはいけないと感じた。

その願いには、自分のことであれ、誰かのことであれ、どうしても何とかしてもらいたいと言う気持ちが込められている。ここへ来るには、そんな深い思いが無くてはならなかったのかもしれない。自分の浅はかな行動は、神様に見透かされてしまったと思った。

もう一度、この神社へお参りに来よう。その時は、もう一度、深く心から祈ろう。

普通の毎日を送れることを。

 

つぶやき

空高く飛ぶ鳥は、人も山も凌いで何を目にしているのだろう。

朝の冷え込みが急に厳しくなってきて、なかなか目が覚めない休日。以前から参拝したかった神社へ。

石清水八幡宮。

多くの名将が参拝したと言われる神社。男山と呼ばれる山の上にあり、参道はかなり長く階段も多い。

でも、足腰に自信の無い方でも大丈夫。ケーブルカーが行き来していて、片道200円で乗ることが出来ます。

それでも、参拝するには長い参道を歩きたいと思い、ひたすら歩いて登る。急な階段も数か所あるけれど、比較的緩やかな場所もあり、苦楽を存分楽しめる道で、道中にはかなりの大木が並び、時折鳥の鳴き声も聞こえ、心地よく歩くことが出来ました。

登った先には、大きな石の鳥居。その先には、お百度参り用の一ツ石と呼ばれる場所があり、その石の上にお賽銭が複数置かれている。何やらおかげがあるのかなと思って、自分もそこへお賽銭を置き、手を合わせる。

自分は何に勝負して勝ちたいのだろう。

勝ちたいものは多くある。けれど、その域に達していないから勝てないのであって、それはお願いして手に出来るものではないなと我に返る。

凌ぐ力を授かりたい。

何かに勝つより凌ぐことは難しいと思う。けれど、日本人は昔から凌ぐことに秀でている。戦国時代の武将なども、簡単に天下を取っていたわけではない。多くの困難や苦境に立ちふさがれても、凌ぐ力のある武将は生き残ってきたのだと思う。

途中で諦めてしまいそうになることも多くあるけれど、空を飛ぶ鳥のように、雲をも凌いで飛んでいきたい。そんな力があると苦しいことも楽しさに変わる。今、ゆっくりでも歩けることに感謝しよう。

南総門を抜けると本殿が見える。この門と本殿と続く道は、願いを告げる道。本殿を見ながら告げることで、ご利益があるのだとか。なぜ正面じゃないんだろう。これにも意味があるらしい。神様へ背を向けて帰らないように建てられているのだとか。何とも細やかな心遣い。

帰りの駐車場の守衛さん方もとても親切で、帰りまで頭を深く下げてお見送りして下さった。最後まで心地よく過ごせた数時間。また来たい。

この日は空はとても晴れていて、穏やかな日差しが心地よい日だったけれど、空気はとても冷たく、冬の訪れを感じられた日。すぐそこに冬将軍が近づいているのかもしれない。

 

つぶやき

空模様もよく、ドライブ日和だったので、車を走らせてたどり着いたお城。

思っていたよりも天守は小さかったけれど、何だかものすごい人・人・人。どうやら、築城410年祭の最中だったよう。

知らずに天守内見学の列に並んでいて、待ち時間2時間。夕方6時頃になってしまう。もう辺りは真っ暗になる時間。残念ではあったけど、見学を諦めることに。また、次の機会があればにしよう。

天守の裏に回って降りることにしたら、そこにはすごい石垣。天守は見学出来なかったけれど、それ以上に感動。

どれくらいの人の力が、この石を積み上げて行ったのだろう。

昔の人々は、本当に我慢強く、力を合わせてコツコツと、頭の下がる作業をやり遂げられたのだなと思いを馳せる。

彦根城の内堀を周るだけでもかなり距離があって、汗ばみながら一生懸命歩く。

途中、秋に咲く種類の桜がちらほら咲いていて、心に癒しを。

琵琶湖を周って帰路に就く。

冷たい風が頬を掠めた。

つぶやき

天に掛ける橋、現世に語り継がれる伝説は遠い時代のお話だけれど、未来へと夢が続く。

京都府宮津市。日本三景のひとつ、天橋立にある籠神社。

綺麗に管理されている神社。残念なことに神門から中の撮影は禁止されていました。

近くにあるので、かなりの頻度で天橋立は訪れているけれど、この神社は初めて。こんな綺麗な神社があるとは思ってもいませんでした。神社にお仕えする方の人数も多く、観光客の方も多く参拝されていました。

この神社の奥宮真名井神社は、豊受大神が鎮座された地と言われていて、そこには「天の真名井の水」が。神様の世界の水を持ち帰ったと伝えられ、多くの方がこの水に力を感じ、訪れる方が多いのだそう。

「力」を授かろう。

何かに助けられる「力」、誰かに助けられる「力」、もちろんそれらも「力」。けれど、今自分に足りないものは、自分の中に眠る小さな「力」を呼び起こす「力」。それはちっぽけな「力」かもしれない。でも、自分を見失わず、自分を信じること。時には思いを曲げることも、時には意に反することもあるかもしれない。それでも、芯にあるものは常に1本の糸を通し、その糸が切れてしまわないよう、歩いていく「力」。

そんな「力」を授かろう。

多くの神伝説があるこの地には、天に掛ける橋が今の時代にも受け継がれ、ずっと多くの方の力であるといいなと感じた。この日も、心地よい風が通抜ける。

お知らせ

子供の頃、曾祖母や曾祖父と一緒にお参りに行っていたお寺。今思うと、曾祖母も曾祖父も、70代だったと思うのだけれど、随分おばあちゃんで、随分おじいちゃんだったように思う。二人の手と手に小さな手をつないでもらい、幼かった自分はこのお寺の坂道を上り、お参りしていました。

ここには、幼い頃の記憶が住んでいる。

京都府京丹後市にある如意寺。「日切の不動さん」と呼ばれ、多くの人が日々参拝されている。この日はあいにく、夜には台風が通過すると言われていて、空模様も悪かったけれど、何となくお参りしたくなったので訪れました。そう言う場所。

ここにくると、小さな自分を思い出す。曾祖母や曾祖父を見上げた姿を。大きくて、ごつごつしていて、温かい手を。背中の曲がった後ろ姿を。自分を呼ぶかすれた声を。

いつでも思い出す。

ここには、何十回、もしかすると何百かもしれないくらい参拝に来ていて、自分の中での歴史が長いお寺。

本堂にあるこのお地蔵様は、体の悪い所と同じ場所をさすることで、病を取り除いてもらえると言われている。

その本堂の横手には、白い萩の花が一面に咲いていた。

この季節に供えられるお餅を「おはぎ」と呼び、春のお彼岸に供えるお餅を「ぼたもち」と呼ぶ由来の花の一つ。萩の花。牡丹の花。そんなことも曾祖父母から教えてもらった。

秋のお彼岸。

また、ここで、小さな自分と曾祖父母と再会する。

 

お知らせ

やたのからすの道案内。

ここは神話の世界の生き物が、人の世界で表現された姿を目に触れることが出来る神社。弓弦羽神社。

いつかきっと、道に迷わずたどり着くべき場所へ導いてくれる。

この日、やたのからすに自分を知って下さいと伝えてみた。生きている中で、多岐にわたる選択など、自分に迷い立ち止まることが多くある。それは他の人にとっては些細なことであったり、とても重要なことであったり。そんな時、お寺や神社を巡ることで、心を少し楽にしてもらえる。この時間がとても自分には大切なのです。そんな自分の負の部分を、やたのからすは見抜いてくれただろうか。

とても小ぢんまりとした神社で、境内は綺麗に掃除が行き届いていて、地元の方に愛されているのだなと感じることが出来る。参道にはとても大きな椋の木が神社を守っていて、木の呼吸が空気に連動し、微かな風が通り抜けた。

この風が、やたのからすの道しるべ。

きっと導いてくれると信じている。

つぶやき

猛暑だったこの日、岡山市は気温36度。空気中のあらゆる物質から熱を発しているかと思うほどの暑さで、車から降りた瞬間眩暈がする。

吉備津神社。

とても開放的で、多くの方が参拝されていた。

国宝の本殿は本当にすばらしく、美しい作りで、思わず「かっこいいなぁ」とつぶやいたほど。

鬼退治。

自分の中の鬼に、そして、人を苦しめる鬼に。

鬼退治。

桃太郎のお話のもととなった鬼退治伝説のように、変化自在に姿を変え、追求する力強さを肖ろうと手を合わせる。

鬼退治。

この本殿の少し横には、樹齢300年の銀杏の木が空高くそびえ立つ。その太く大きな幹が、その木の生きてきた年月を刻んでいる。どんな歴史を眺めながら、この場所で300年過ごしてきたのだろう。これから先、300年生きたなら、どんな未来を見ていくのだろう。

鬼退治。

少し鬼退治出来た気分になり、帰りは少し心が軽くなった気がする。良い時間を過ごせたことに感謝をして神社を後にした。