花桃

昨年は、思ってもいなかった災いに見舞われ、ほとんど年始から4月後半まで外出らしい外出をすることが出来なかった自分に、遠くへ住む友人から励ましの写真が送られてきた。

この写真は1年前のもの。

南信州のとある場所に咲く花桃と呼ばれる花。桜ではありません。桜と違って、とても鮮やかな色彩を持つ花のようで、かなりの本数が植えられている場所があるのだそう。南信州には何度か訪れたことがあり、豊かな自然が美しい地域。どうして行きたくなるようなものを送ってくるのかと思ったけれど、息が詰まりそうになっている自分を少しでも楽しませようとの心遣い。感謝しなければなと思う。

この花桃、4月中旬から咲き始めるらしい。

いつか一緒に見に行こう。

3月も中旬に入り、もう桜の開花予報の季節となっていることに、閉じこもり中の自分は驚いているけれど、確かに気温も暖かくなっていて、春は近づいている。

先日、ある会社の社長とお話させてもらう機会があって、その会社の社名の由来などを聞いた。『芽吹く』と言う意味と、ご自分のお父様の名前から決められたそうだ。お父様のことが大好きなのだとお話されていた。

誰でも、大切に思うものや人、時間がある。忘れてはならない気持ちや思いを何かで残すことが出来るなら、それは凄いことではないかと思う。時間は残酷で、記憶はどんどん風化してしまう。覚えていると思っていることも、時間と共に間違った記憶と入れ替わってしまうことがある。どうして正確に、覚えていることが出来ないのだろうと思うけれど、大切にしている記憶の一部が、薄れていてはっきりと思い出せなくなっている。

ずっと覚えていたいのに。

そんな時、何かに刻んでおくことが出来た大切なものは、そのままずっと形として残っていく。だから思った。

素敵なことだなと。

大切なものを忘れてしまわないよう、自分も何かに刻んで歩いていこうと思う。

智恵

ぽかぽかの春はまだ遠いのかな。

福井県では大雪で大渋滞が発生したり、お亡くなりになる方もあり、本当に大変な悲しい冬となりました。ニュースになるほどではなかったものの、自分も大渋滞に遭遇し、数時間車で過ごしました。雪国なのにこの渋滞はどうして発生してしまったのか。それでもその日の内に帰宅出来たことは幸いでした。

そんな厳しい冬、開催中のオリンピックは感動がいっぱい。人としての在り方を勉強させられる場面が多く見られ、自分もがんばらなければと感じながら応援。スポーツって本当に素晴らしい。

新年からこっち、ものすごく自分の力の無さを感じることが多く、開発の仕事も思うように進まない日が続き、悩む時間の方が多い毎日。そんな時こそ、自然の空気を体に取り込みたいと切望しているのに、時間との闘いでなかなか自由な時間を取ることが出来ない。

深呼吸したい。

疲れた体に、心の負担が多くのしかかり、世の中に蔓延るものがあまりにも夥しく、息苦しさを感じてしまう。もうこの世に存命されていないけれど、ある方はいつも盗聴器発見器を持ち歩かれていた。誰に盗聴されているか分からないからと、屈託のない笑顔で話されていたのを思い出す。行動と笑顔の差が心地悪かった。それくらい人を信じることが出来ないことが、本当に寂しいことだなと感じながら話を伺ったことを覚えている。人を信じられないとはどんな気持ちだったのだろう。けれど、気付くと自分もそんな気持ちを少し抱いていて、このままでは残念な道を歩くことになると、首を横に振った。

そんなことを思いたくない。

そこは智恵で越えることが出来ると思う。もっと自分に知恵を。一日が36時間位の感覚で、ここ数日は脳を働かせながら、ものすごいスピードでこの一か月滞った仕事を熟している自分がいる。

もっと早く、スタートを切れないかなと、自分が嫌になるけれど。

智恵を借りよう。

上田市には数回足を運んだことがあり、上田城の敷地内にある眞田神社は、必ずお参りする神社。何度か訪れていて、いつも快晴で迎えられる。

ここは智恵の神様が祀られている。

また、智恵を授かりに行こう。

ぽかぽかの春はまだ遠いのかな。

清らかな水に癒されて

水の綺麗な場所は空気も美しく感じる。とても清らかで、この場所を浄化しているかのように境内を流れる。心も洗われる。夕方なのに深呼吸をしたくなりました。

大きな鳥居から真っすぐに伸びた参道。その距離がまた、神聖な場所へと導いてくれ、特別を肌に感じる。

ここは、京都市にある下鴨神社。正しくは、賀茂別雷神社。

全ての造りが美しく、雅やか。ものすごく多くの方が参拝されていて、人の流れに流されながら歩く。

二ノ鳥居を通り抜け、細殿と呼ばれる建物の前には、円錐に盛られた砂の山が二つ並ぶ。清めの砂の起源となったものらしく、とても大きな力を感じる方もあるのだとか。触りたいけれど、縄で結界が作られていて、近づくことは出来ない。

力を下さい。

欲張りな自分にはどんな力が良いだろう。神様はきっと悩まれているに違いない。

欲張りな人は、底を知らない。

過去を忘れ、それらを得る前の自分など、気づくこともしない。新たに生まれる自分の欲求を満たそうとする。それが時に誰かを苦しめていたり、誰かを傷つけていることも知らずに。

けれどそんなことをしていたら、いつかは自分に、もしかすると自分より大切なものに返される。

昔、何かの本で読んだことがある。一瞬でも誰かを恨む気持ちを持つと、そのエネルギーは自分が瞬時に思う気持ちを遥かに超えた力となって届いてしまうのだと。怖い話だなと思いながら読んだけれど、その意味はなんとなく理解できる気がする。

自分しか見えていない人は、言葉巧みなことが多い。行動で示すことより、言葉で人を動かそうとする。その言葉には重みが無く、自分で責任を取ることも無く、どんなに素晴らしい言葉を連ねていても、誰の心にも響かせる力が無い。その言葉では人は動かない。

人を動かすことが出来る人、それは自らが行動する力で示される。自ら動ける人には、必然的に人が動いていく。

そんな人を知っている。

多くの人と接する機会が多い中で、そんな人はただ一人しか知らない。

自分にもそんな行動力を手に入れたい。そんな思いで円錐に手を合わせる。得られるか得られないかは神様が決めるのではない。自分自身のこれからだ。がんばろう。

少し空が滲んできて、一日の終わりが近づいてきていた。

今年のお正月休みの最終日のこと。

勝利を手に

雪は降らなかった元旦。

この神社のことは以前、あるお取引先の社長が、毎年お参りに行くと教えて頂いていたので知ってはいたけれど、近くの神社へお参りしていて、こちらの神社へ参拝したことはありませんでした。けれど、今年は導かれたかのようにこの神社へお参りすることに。

當勝神社。

兵庫県朝来市山東町にある、勝利を呼び込む神社として多くの方が参拝されている。

勝利を手にしたい。

勝利と言う言葉にはいろいろ意味があるけれど、もちろん、いろいろなことに勝ちたい。でも、自分の中の勝利とは、自分に勝ちたいが大きい。

今日の自分より、少しでも明日の自分は勝っていたい。明日の自分より1年後の自分はずっと先を歩いていたい。前に進み、後ろに下がりを繰り返してしまうかもしれない。それでも、負けてしまいたくない。悔しさに溺れて沈んでしまうことはしたくない。情けない涙を流しても、立ち上がれる人間でいたい。失敗しても、腐って息をする人間にはなりたくない。

勝ち取る力を得たい。

この神社へ参拝されている方たちは、とても透き通った、曇りのない人たちでいっぱいだった。

新しい年、はじめての深呼吸。

この空気が、自分の体内に流れ込み、きっと良い力を得られたと思う。

 

初春

新年あけましておめでとうございます。

本日より、弊社も仕事初めとなります。昨年以上を目標に、一歩ずつでも成長出来る企業であるよう、社員一同努力してまいります。

本年も、よろしくお願いいたします。

元旦に、神棚にお祀りするお札を拝受するため初詣に出かけるのですが、今年は全く待ち時間なしで駐車場に停めることが出来、更に、その駐車場の位置も、ものすごくよい場所ばかり。何やら今年は初めが良くて、嬉しくなりました。例年それほどの待ち時間の経験はありませんが、全く待たなくて良いところはありません。今年は本当に全く。勝手ではあるけれど、歓迎された気分になり、がんばろうと気合を入れる年初めとなりました。

そんな気持ちを忘れないよう。傲慢にならず謙虚な気持ちを忘れないよう。目標を常に高く持ち、達成出来る強い気持ちを忘れないよう。皆様と一緒に成長出来る企業となれるよう、常に初心に帰る気持ちでがんばりたいと思います。

今年もよろしくご指導下さいますようお願いいたします。

新年が良い年でありますように

この1年、弊社と共に歩んで下さいましたお取引先の皆様、私たちをパートナーとして選んで頂けたことを心より感謝し、御礼申し上げます。皆様のおかげで今年も無事、仕事納めの日を迎えることが出来ました。

今年は、自社ホームページのリニューアルを計画しておりましたが、お客様のお仕事が優先。当たり前のことなので、大きな声では言えませんが、延ばし延ばしとなってしまいました。来年度こそは、何とかリニューアルしたいと考えております。お知らせしておきながらの度々の延期で、本当に申し訳ございません。

また、ブログも、趣味の世界ばかりとなり恐縮ですが、コメント下さる方があり、とても励みとなっております。コメントの公開をしておらず、申し訳なく思いますが、今年はなかなか時間が作ることが出来ず、近隣の神社仏閣の訪問を中心としたものとなりました。けれど、近いからこそ気づかないことも多くあったり、忘れていた記憶も蘇ったり、自分にとってとても大切な時間を手にすることが出来た1年となりました。今後もまたご訪問下されば嬉しいです。

さて、私たちは独立して5年、今まで所属していた企業の中にいた時代、企業の小ささなど考えたこともなく、そこを不安要素に掲げられたり、自分たちの今までの活動をご存じでない方たちからは、突発的に素人が起業したかのように思い違いされていたり、なかなか理解されないことがあるのだと教えられた年となりました。それが、何かしらの力で発せられることに、とても残念に感じています。

そんなことが問題なのかと思い知らされる日々が続き、某テレビ局で先日までやっていた老舗企業の奮起の物語が、まるで私たちのように感じながら見ていました。

けれど、今まで気づくことの出来なかったそれらの問題を知る機会があったことは、今後の自分たちの活動には良い影響となっていること。そして、それらの苦境がかえって力となり、様々なことが鍛えられたことは言うまでもありません。そして、そんな力に影響を受け、大切な時間を費やすことの方が自分たちの為になるはずもなく、私たちは、昔と同じ信念に基づいてお仕事させてもらうことは、今後も変わることはありません。

そんな私たちに多くの信頼できる出会いやつながりがまだまだあること。更に、自分たちを信じ、仲間を信じ、逆に、次に何が出てくるのかわくわく感さえする自分たちがいます。苦しいけれど楽しいのです。

今まで所属していた企業は、全国規模の営業拠点がありましたが、私たちはずっとその場所に所属していた時から、今と何ら変わらない信念で仕事を続けてきました。私たちは、その時より更にいろいろな経験や知識を身に着け、現在進行形で仕事をしています。自分たちの知識や経験は、誰も盗むことが出来ないものであることを、自分自身が一番よく知っているからこそ、自分を信じ、仲間を信じることが出来ています。

そんな私たちを選び、共に歩いて下さる皆様との出会いは、私たちが独立して得られた本当に大切な財産です。

新しい年は、更に自分たちの知識を向上させ、皆様の一部になれることを目指し、努力してまいります。

今年1年、私たちと共に歩いて下さった皆様、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお付き合い下さいますようお願いいたします。

お多福桜と徒然草の法師様

寒波の到来で、雪舞う今日。雪が空中でひらひらと舞う景色は、小さな天使が舞い降りてきたかのように儚く美しい。その美しい容姿に隠れ、冷たい空気が弓矢となって矢を放ち、頬にちくちくと攻撃してくる。白い天使の裏には、小さな悪魔が隠れている。

寒い。

少し前のこと。今にも雨が降りそうな空模様でも、登山人が多く歩いておられた日。京都はこの日も多くの観光客で賑わっていて、いつ訪れても人があふれている都。そこには人を魅了する歴史と、古くから残る貴重なものが多く、特に秋には普段公開されないものを目にすることが出来る機会が増える。そして神社仏閣の美しい庭と紅葉、野山の自然が生み出した景色が何とも風情があり、国内外の人々に癒しを恵んでくれる。

仁和寺。

仁王門の真ん前はかなりの交通量がある道路。正面から眺めたいのに、眺めるには道路の向こう側に行かないと正面が見ることが出来ない。凄いところに位置しているけれど、このお寺は徒然草に登場する歴史のあるお寺。そのお話はあまり嬉しいお話とはいかず、どちらかと言うと、人に教えを説くための失敗談として登場する法師様のお寺。けれど、見方を変えると、それは、今の時代にも人の生き方にほんの少しの知恵を教えてくれている。良いお話なのです。

御室桜。「おむろざくら」。

桜が有名らしく、桜の季節なら良かったのにと思うけれど、丈の低さや枝が横広く広がっている様や、花が無い分幹にに刻まれた歴史をうかがい知ることが出来る。それもまた貴重だなと思う。

金堂へ向かう階段の両脇にそびえる紅葉が深紅に近い色に染まり、本当に美しく、晴れならもっと色が鮮やかに映えていたのにと、少し残念に思いながら上を向いて歩く。

綺麗な深紅。

今年最後の紅葉に魅了されながら、広い境内を散策して歩く。

肌寒いけれど、凛とした空気が心地良い。

そこまで冬は近づいていたある秋の日。

 

願いの重み

大阪天王寺にある堀越神社。

茶臼山古墳のすぐ入り口に有料の駐車場が出来ていて、その入り口に芝生の公園があり、小さなわんことフリスビーを投げて遊ぶ子供連れの家族がいた。

楽しそうに笑う子供の声と、嬉しそうに飛び跳ねるわんこ。とっても幸せがあふれる光景の向こう側で、真剣に祈りをされる方が途切れない場所がある。この隔たりが、後に消える日が来ればいいなと思いながら参拝した日。

一生に一度の願い事を聞いて下さる。と言われている。

欲張りな自分が、ただ一つのことをお願いする。何て重いことだろう。

いつも通り、欲張った願いをしてもと思い、普通であることを望み、祈った後、神社を後にしようと思った瞬間、ものすごい数のお賽銭の音が聞こえ振り返える。そこにはとても真剣に、長く祈られている方の後ろ姿が見え、自分が恥ずかしく思え、この日、ここへお参りに来たことを後悔した。

一生に一度の願い事などと言う、そんな願いのない人はお参りしてはいけないと感じた。

その願いには、自分のことであれ、誰かのことであれ、どうしても何とかしてもらいたいと言う気持ちが込められている。ここへ来るには、そんな深い思いが無くてはならなかったのかもしれない。自分の浅はかな行動は、神様に見透かされてしまったと思った。

もう一度、この神社へお参りに来よう。その時は、もう一度、深く心から祈ろう。

普通の毎日を送れることを。

 

凌雲

空高く飛ぶ鳥は、人も山も凌いで何を目にしているのだろう。

朝の冷え込みが急に厳しくなってきて、なかなか目が覚めない休日。以前から参拝したかった神社へ。

石清水八幡宮。

多くの名将が参拝したと言われる神社。男山と呼ばれる山の上にあり、参道はかなり長く階段も多い。

でも、足腰に自信の無い方でも大丈夫。ケーブルカーが行き来していて、片道200円で乗ることが出来ます。

それでも、参拝するには長い参道を歩きたいと思い、ひたすら歩いて登る。急な階段も数か所あるけれど、比較的緩やかな場所もあり、苦楽を存分楽しめる道で、道中にはかなりの大木が並び、時折鳥の鳴き声も聞こえ、心地よく歩くことが出来ました。

登った先には、大きな石の鳥居。その先には、お百度参り用の一ツ石と呼ばれる場所があり、その石の上にお賽銭が複数置かれている。何やらおかげがあるのかなと思って、自分もそこへお賽銭を置き、手を合わせる。

自分は何に勝負して勝ちたいのだろう。

勝ちたいものは多くある。けれど、その域に達していないから勝てないのであって、それはお願いして手に出来るものではないなと我に返る。

凌ぐ力を授かりたい。

何かに勝つより凌ぐことは難しいと思う。けれど、日本人は昔から凌ぐことに秀でている。戦国時代の武将なども、簡単に天下を取っていたわけではない。多くの困難や苦境に立ちふさがれても、凌ぐ力のある武将は生き残ってきたのだと思う。

途中で諦めてしまいそうになることも多くあるけれど、空を飛ぶ鳥のように、雲をも凌いで飛んでいきたい。そんな力があると苦しいことも楽しさに変わる。今、ゆっくりでも歩けることに感謝しよう。

南総門を抜けると本殿が見える。この門と本殿と続く道は、願いを告げる道。本殿を見ながら告げることで、ご利益があるのだとか。なぜ正面じゃないんだろう。これにも意味があるらしい。神様へ背を向けて帰らないように建てられているのだとか。何とも細やかな心遣い。

帰りの駐車場の守衛さん方もとても親切で、帰りまで頭を深く下げてお見送りして下さった。最後まで心地よく過ごせた数時間。また来たい。

この日は空はとても晴れていて、穏やかな日差しが心地よい日だったけれど、空気はとても冷たく、冬の訪れを感じられた日。すぐそこに冬将軍が近づいているのかもしれない。

 

時間との闘い

空模様もよく、ドライブ日和だったので、車を走らせてたどり着いたお城。

思っていたよりも天守は小さかったけれど、何だかものすごい人・人・人。どうやら、築城410年祭の最中だったよう。

知らずに天守内見学の列に並んでいて、待ち時間2時間。夕方6時頃になってしまう。もう辺りは真っ暗になる時間。残念ではあったけど、見学を諦めることに。また、次の機会があればにしよう。

天守の裏に回って降りることにしたら、そこにはすごい石垣。天守は見学出来なかったけれど、それ以上に感動。

どれくらいの人の力が、この石を積み上げて行ったのだろう。

昔の人々は、本当に我慢強く、力を合わせてコツコツと、頭の下がる作業をやり遂げられたのだなと思いを馳せる。

彦根城の内堀を周るだけでもかなり距離があって、汗ばみながら一生懸命歩く。

途中、秋に咲く種類の桜がちらほら咲いていて、心に癒しを。

琵琶湖を周って帰路に就く。

冷たい風が頬を掠めた。