願いの重み

大阪天王寺にある堀越神社。

茶臼山古墳のすぐ入り口に有料の駐車場が出来ていて、その入り口に芝生の公園があり、小さなわんことフリスビーを投げて遊ぶ子供連れの家族がいた。

楽しそうに笑う子供の声と、嬉しそうに飛び跳ねるわんこ。とっても幸せがあふれる光景の向こう側で、真剣に祈りをされる方が途切れない場所がある。この隔たりが、後に消える日が来ればいいなと思いながら参拝した日。

一生に一度の願い事を聞いて下さる。と言われている。

欲張りな自分が、ただ一つのことをお願いする。何て重いことだろう。

いつも通り、欲張った願いをしてもと思い、普通であることを望み、祈った後、神社を後にしようと思った瞬間、ものすごい数のお賽銭の音が聞こえ振り返える。そこにはとても真剣に、長く祈られている方の後ろ姿が見え、自分が恥ずかしく思え、この日、ここへお参りに来たことを後悔した。

一生に一度の願い事などと言う、そんな願いのない人はお参りしてはいけないと感じた。

その願いには、自分のことであれ、誰かのことであれ、どうしても何とかしてもらいたいと言う気持ちが込められている。ここへ来るには、そんな深い思いが無くてはならなかったのかもしれない。自分の浅はかな行動は、神様に見透かされてしまったと思った。

もう一度、この神社へお参りに来よう。その時は、もう一度、深く心から祈ろう。

普通の毎日を送れることを。

 

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