願いが叶うなら

以前の職場の仲間と会う機会を作って下さって、先日、昼食をご一緒させてもらう為、久しぶりに電車で神戸へ向かった。

神戸へは何度も行ってはいるけれど、いつも車が多く、乗り換えながらの電車移動が新鮮で楽しく、こういうのもいいものだと車窓から流れる景色を眺めながら思っていた。

実はものすごく方向音痴で、車でも、ナビの指示を理解することが出来ず、道路を間違えて違う方向へ走ったりするので、今回大丈夫かなとかなり慎重に移動。結局、予定通りの電車に乗り到着出来たものの、それで安心してしまって最後の出口を間違えてしまい、ずいぶん待たせてしまう結果に。詰めが甘いなと我ながら苦笑してしまった。

独立して実に8年だと話していたが、実はそれも1年間違っていて、7年目に入っていたのだったと帰宅してから気が付き、まぁ、言ってしまったものは仕方ないと開き直ることに。それにしてもずいぶん久しぶりの再会であったのに、長く一緒に仕事をしていた仲間との時間は瞬間に呼び戻された気がした。

忙しくしていた毎日の中で、そんな時間を与えて下さったことに、本当に感謝した日。

ずいぶん長い時間の経過の中で、それぞれにいろいろな周辺の変化が起こっていて、それらの話を聞きながら、自分の話をしながら、少し前に参拝した神社を思い出していた。

島根県松江市 玉作湯神社

願い石 叶い石

本当は縁結びで訪れる方が多いのだそう。けれど、願いを叶えてくれるとされるこの神社。

縁結び。

それは、人と人のつながり。どんな縁結びでもいいのではないかと思い参拝する。

多くの人の力を分けていただいて、今の自分がある。その人と人とのつながりに感謝し、関わりある全ての人が幸せであるようお願いする。

その力が働いたのかもしれない。

それから間もなく、再開の約束の知らせが届いた。

また会う日まで、みんなが元気に、いつまでも笑って思い出話が出来るように。

音のある世界

そのお寺には、とても多くの耳の病に苦しむ方々の絵馬が奉納されている。

三千院の脇を通る坂道をひたすら歩く。綺麗な小川が流れ、それまでの賑やかさが嘘のようにとても静かで、水の流れる音、山に住まう鳥の鳴き声、風に揺れる草が戯れる音、自分の呼吸が聞こえる。とても静寂な世界に引き込まれるようではあるけれど、とても緩やかな時間が流れている。

京都 来迎院。

『耳が聞こえるようになりますように』

音の無い世界を知らない自分にとって、想像すらしたことの無かった文字が連なり、苦しむ方々の気持ちが痛く突き刺さる。そう言えば、近しい人の中の一人が、長く耳鳴りに苦しんでいたことがある。一瞬の耳鳴りは経験があるけれど、ずっと聞こえる異音。それもどんなに苦しいことだろうと今さらながら思い出していた。

参拝する途中の、自然界から放たれる数々の音は、とても心地よく、日々の作られた音ばかりの世界とはまた違った、癒される音に触れられる場所であるけれど、それらを聞くことの出来ない方々が、どんな思いでこのお寺に足を運ばれたのだろう。

自分の恵まれた現状に、感謝しなければならないと思った。

一隅を照らす

猫の通り道。

そんな狭い道路を行き交う車。譲り合う気持ちが現代の人々の中には小さいのだなと思うような口論を目の当たりにし、日本人としてとても切なく悲しい気持ちに包まれた日。こんな光景、しかも、こんな場所では触れたくなかった。

小春日和が心地よかったこの日、以前から行きたかった京都の三千院へ向かう。

人が多く、とても華やかな印象のお寺。

けれど、三千院に近い駐車場へ移動するには、交互に通らなければ通れないほど狭い道路で、すれ違うだけでも一苦労。自分はそこまで狭くなる手前の駐車場に停めて歩いていた。少し歩くと更に狭くなる道。すれ違うことが出来ない車と車。激しく言い合いが始まる。そんな知らぬ人のやり取りを耳にしながら、諍いが生まれた状態で参拝してご加護などあるのかなと訝しい思いを胸に参拝することになる。

中では、ずっと仏前に座り、長い時間をかけて祈る人。人と人の流れに押されて祈る時間も取れずに押し出される人。写真撮影禁止と言われていても、撮影する人。多くの神社仏閣へ足を運んできたけれど、こんなにも日本は崩れてしまったのかと思ったことはまれで、とても心が痛く、そう思ってしまう自分の邪気が空気中に拡散し、それらが更に周囲の人の心に侵入するのではないかと自分自身が抵抗し、格闘する心で疲弊してしまった日となった。

唯一、御朱印を頂いている間、とてもなめらかな筆運び、墨汁の色香、紙の上を筆が滑る音が心地よく、しばらく見とれながら過ごした時間が心地よかった。

このお寺は、最澄が開基したとされる。

最澄が広めたかった「一隅を照らす」。多くの日本人がお手本となって広まっていけばいいなと思う。

空を海を

勿忘草色の空と瑠璃紺色の海。

この世界にはこんなにも綺麗な色が存在している。

その空と海の間の空間に掛かる大きな橋。

橋から覗くその空間は、とても美しい。それなのに、その空間へ吸い込まれてしまいそうな錯覚が、わずかな恐怖を与えてくる。気が付けば鳥肌が立っていた。

もしも、翼を与えられたなら、そんなちっぽけな恐怖など気づくことなく、空と海の間を目がけて飛び立てるのに。でも翼はない。それなら、車と言うハサミになって、空と海の間に切り込みを入れているつもりで走る。その裂け目からは、また新しい空と海の間が次から次に生まれてくる。

まるで、人の生きる道みたいだなと思いながら道中を楽しんで移動。

秋晴れの心地よい日。

香川県 善通寺。

「虚しく往きて実ちて帰る」

何も知らずに中国へ行ったけれど、ものすごく得る物を得て帰ってきたと空海は言った。20年の予定であったのに、2年で習得した密教。そんな空海の生誕の地。

遠い時代に生きた人々の考えたことが、とても長い時間を超えて、今の時代に残されている。それだけでも凄いことで、その声に、そっと耳を傾けることは悪くないと感じている。

出来るからと努力をしない人は、そこまでしか辿り着けないけれど、出来ないことが出来るようになる喜びを知っている人はとても魅力的だ。空海は、そんな人だったのではないかと思う。

没頭できる何かを持っていることはとても素晴らしく楽しいと思う。

空海に会いたい。

帰りの瀬戸大橋。聴色と水浅葱色の空が、なんとも柔らかい夕焼けを醸し出し、今、その場で見ることが出来たことが幸せに感じた1日の終わり。

天気が良くてよかった。

神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う

透き通る程遠くまで、青が空一面を覆いつくし、雲のかけらさえ見えない晴。

高速を走る車。

いつの間にか空へ飛び立ち、鳥になったような気分で走る。

音も何も聞こえない世界へ誘い、ただ風に乗り翼で感じる鳥に。

止まっていた時間が息吹始める。

長く自分の時間を取ることが出来ずにいて、やっと少しだけ自由をもらった日。

岐阜県 伊奈波神社。

快晴のこの日、七五三や結婚式で人があふれ、駐車場に入るまで30分ほど待った。やっと車を停められ、少し昇坂道を歩き、急な階段を2か所昇ることで、神門へ。残念ながらここまで。中へは入ることが出来なかった。

階段を降りると黒龍大神があり、そこのパワーが凄いのだそう。

この龍頭岩にお願いすることで、どんな願いも叶えて下さるとか。

自分にも力を分けてもらう。

人が神を敬うことによって神の威力は増し、人が神を敬うことで得られた神徳で良い運が得られると言う「御成敗式目」に記された言葉を信じることも、自分を強くする一つだと思っている。もともと神など存在しないのではないかと思っているけれど、信じる場所、信じる物など、人が信じると言う力が不思議な力を生むと思っていて、自分も守られている感じをずっと感じている。もしかすると、神社仏閣が心地よく感じることは、そう言うことなのかもしれない。自分が信じるものだからそこ、そこに力が生まれている。それと同じように多くの人の心が集まると、その場所は更に大きな力が生まれる。

そんな風に思いながら、やっと自分で呼吸をすることが出来た。

また、明日がやってくる。

 

姫りんご

 

目の前の景色がいつの間にか秋色に染まっていることに、最近になって気づいて、行きたかった場所があったのに、時間の流れに追いつけない自分。

この頃の時間の速度は半端ない。

今も外では秋祭りの太鼓の音、子供たちの声が聞こえる。秋祭り?そんな季節なのだと改めて実感する。

事務所の前には姫りんごの木があって、その実は赤く色づき始め、これを見ても秋だと感じられなかった自分にがっかりする。

食べられるが食べることはほとんどなく、それでも、青い実から赤い実へ変化するまでの期間、とても楽しみにしていたのに。今年はそれすらあまり出来ずだったのだなと思うと、いつもと違うことを感じずにはいられない。

空気が恋しい。

なかなか思った場所に出かけることが出来ない中でも、仕事の合間に立ち寄るいろいろな地元の名所も気分転換になる。

「湯村温泉」荒湯。

この荒湯の温泉玉子は絶品。まずはそのままで食べたい。そのままでもとても美味しいのだ。年に数回食べたくなって、立ち寄ることがある。この温泉玉子、その日によって温泉の温度が違うため、茹で上がる時間が若干違う。近くのお店、「とちせん」で玉子を買うと、最適な時間、玉子を浸ける場所を教えてくれる。とても親切なのだ。

「とちせん」は栃餅を販売するお店。この栃餅もとても美味しい。風味が何ともクセになる味。その栃餅を販売するお店の中には、冬にとっても最適なものがある。

「地熱洞」温泉の熱で温められる洞窟。

常に50度位ある。

この熱が、体のあちこちに良い効果を与えてくれるのだとか。確かに体が芯から喜ぶ感じがする。

湯村温泉のこと、何故体に良いのかなど、説明されている看板がかけられていて、この説明を読みながら、ゆっくり体を温めることが出来、服を着たまま温泉の効能を味わえる場所。

空気が恋しい。

そんなこと思っている場合ではない。ここもまた温かな空気に包まれ、自分を癒してくれる。

恋しい空気。

ゆっくり出来る時間がある時、また行きたいと思う。

学生の頃、必須科目の講義の間の時間つぶしに哲学を受講していた。

別に単位には関係なかったけれど、時間の隙間を何とか埋めたいと安易な考えから選択した科目が、当時の自分には意外と面白かった。講師の先生は毎回夢見るような眼差しで、遠くを見ながらうっとりとした顔で講義をされる。そのうっとりした姿が自分には何とも面白かったのだ。

けれど、社会人になって一番大切なものは哲学かもしれないと最近は思う。

どんなに知識が多くあっても、どんなに技術が広くあっても、哲学的思考が出来ない人にエンジニアの仕事は出来ないとつくづく思う時がある。毎回学ばなければ、良いシステムにならないのだ。オリジナルのシステムを開発し、ご提供する仕事を何十年も行っているけれど、陥りがちなのは、自分の考えだけをお客様へ押し付けるだけでは良いスシテムには仕上がらないと言う現実。相手の気持ちに立った視点、操作を勉強しなければ、良いものへと仕上がらない。

この夏、短期間でスタートさせるプロジェクトに携わることになり、毎日睡眠時間を削り、休日を削り、カレンダーを睨みながら依頼の開発に打ち込んだ。

けれど、スタートさせた途端、大きなトラブルは発生しなかったけれど、システムの使い心地は、自分の中でだけテストした動作設計に基づいたものであって、使う方の仕事の手助けには足りないものばかり。それでも、今ある機能を使って日々の業務を終わらせて下さるスタッフの皆様に頭が下がる思いで、何とか使い勝手の良いものへと変化させられたらと思いながら、今も追加改修を行っている。

そんな中、先生が、いつも空を見上げ、全てのものにうっとりするような眼差しで、哲学のすばらしさを講義されるのを思い出していた。もし、あの時間に戻れるなら、哲学って大切なことでしたと伝えたいなと考えている自分が今いる。

豊岡市小田井町。小田井神社(小田井縣神社)。

鳥居を抜けた場所で神社を守る木。

毎年、社員一同お参りする神社の一つ。緩やかに時間が流れる神社で、心穏やかになれる神社。

ここの社務所でお守りを頂くのにお迎えくださるご年配の神主さんは、とてもほっこり対応をして下さる。当たり前のことが、当たり前ではない時代。とても暖かく感じるひと時を分けて下さった。

また来年、お参りさせていただきます。

明日

車から降りると、眼鏡が曇り、カメラのレンズが曇り。

この数分前まで、激しい雷雨が京都市内を襲っていて、みるみる道路を2~3cm程度の深さの雨水の幕が包み込む。鼠色一色で覆われた空から、何の屈折も起こらない閃光が数本、地上目がけて走り、大地から湧き起こるかのような重く高い激しい音が辺りを包む。

飲み込まれる。

そんな雰囲気が漂う時間をかき分けながら移動する。このまま車を走らせても、参拝することは出来ないかもしれない。諦めながらも到着した神社。

京都市にある豊国神社。豊臣秀吉を祀る神社。

あれほど恐ろしく響いていた雷も止み、雨も上がり、狐につままれたように車を降りる。

 

歴史に詳しいわけではないけれど、農民(ここは定かではないらしいが、地位が低かったことは確かなよう)から天下人となったと言われる秀吉。この天下人から教えられることは多くある。

「今日せず明日と思ひなば・・・」

明日こそはと思っていては、他に後れを取ってしまう。好機を逃すな。の言葉の一部。

自分も明日があると思う傾向にあって、時間を無駄に使っている。

自分自身、時間の管理をされることがとても苦痛だった。けれど、時間は無限ではない。今やるべきことをやる。それが一番大切なことだと、今さらながら思う。

明日。

それは、今やるべきことをやっている人が得られる時間。

偶然ではあるけれど、神社へ着くなり止んだ雷雨。秀吉らしい歓迎かもしれないと少し嬉しくなる。「今日、参拝しろ」と言われたと思おう。

明日の時間を得る為に。

足跡

てん てん てん。

猫の足跡。

この朱色の社殿に忍び込み、こっそり何かを企んでいる。

けれど、その痕跡を残したまま逃走。

もしもし、猫さん、悪だくみの証拠がここに残っているって気づいているのかな。遠くからこちらを睨みつける猫。思わずかわいらしい証拠に笑ってしまったけれど、真剣な眼差しで睨みつけてくる。次は痕跡消した方がいいかもね。

石川県金沢市。

尾崎神社(金沢東照宮)。

道路に面して中門があり、あまり距離なく社殿が建つ。とても小さな神社。けれど小さいなりにとても豪華な造りの神社。

加賀藩四代藩主前田光高が徳川家康を祀るために建立されたとされる。

とても豪華な装飾や、細やかな細工の社殿が、小さいのに美しく、時が経つのも忘れてしまう。緩やかにのどかに時間が流れる。あちこちに葵の御紋。曾孫のために家康がこの金沢を今も守り続けているのかもしれない。

その力、少しばかり自分にも分けてもらいたい。

もともとは金沢城北の丸にあったものを、明治に移設されたとのこと。

古き時代のものを、簡単に移設してしまうなんて、とても残念で仕方ない。

てん てん てん。

また会えるかな。

 

 

成長

太陽の日差しと言うより、呼吸する空気が熱を帯び、体の表面を隙間なく纏わりつく。

暑い。

車から降り、数歩、それだけでうだるような暑さが襲う。とっさに汗は流れず、少しの時間過ぎてから止まらなくなる。

猛暑の今夏。

金沢市 尾山神社。

前田利家とお松の方を祀る神社。

鳥居を通り見上げると、神門。他の神社では見ることのない洋風な佇まいに圧倒される。一目で心に焼き付く神門。

多くの方が参拝されていて、おみくじを引かれている方が多い。

この神社に祀られている、前田利家は、若かりし日は粗暴な行動が多かったらしいが、年を重ねるごとに人として成長した人物だと言われている。

最初から何でも出来る人より、人生の終焉まで成長を続けられる人の方が魅力を感じる。

そんなことを思いながら拝殿へ向かう。

日々、いろいろなことが目まぐるしく起こる中、疑問に思う日、後悔の念を抱く日、胸を痛める日、矜持を保つ日、三思後行の日、時には佚楽の日など、常に人は複雑な心の動きをしているのだなと思う。

見えない敵も、見える味方も、味方のような敵も、敵のような味方も、人を見抜く力があると、戦国時代を生き抜くことが出来るのかもしれない。現代もある意味戦国時代。けれど、騙されたとしても、またそれはそれだと思う。

それがまた楽しい。

平凡ではつまらない。

そう思う自分がいる。

境内に風が流れ、うだる暑さが一瞬途切れた。

「そうだ」

利家が笑っているのかもしれない。