姫路オフィス開設のお知らせ

平素より格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

この度、4月1日より姫路オフィスを開設いたしました。

皆様の期待にお応えできる企業となるよう、社員一同、なお一層精進する所存でございます。

今後も、よろしくご指導下さいますようお願いいたします。

 

荒御魂

儚げな太陽の光が緩やかに大地を包み込み、ほのかな温もりを分け与えてくれる。布団の中の温度が意識を夢と現実の間へ留め、その場所が妙に心地よく、このまま終わらなければいいのにと思いながら起き上がれずにいた。

それから思っていたより時間が進んでいて、そうだ、今日は西宮神社へお札をお返しに行こうと決めていたことを思い出し、慌てて起き上がり、出発の支度をする。

数日前に十日えびすで賑わっていたであろう西宮神社は、思ったよりも多くの参拝者がいらして、まだ福笹をいただくことが出来た。お礼参りをし、西宮神社からそれほど遠くない位置にある、廣田神社へ向かう。

天照大神の荒御魂を祀られているこの神社は、勝負の神様。とても格式高い神社で、「日本書紀」にも登場する歴史のある神社。この日も多くの参拝者がお参りされていた。

新年であるからこそ、いろいろなことに勝てる年になるよう、多くの方の力が集まるこの場所から、自分も少し力を分けていただく。

今年も多くの力を授かりに歩くことが出来るといいなと思う。

新春のお慶び申し上げます

あけましておめでとうございます。
旧年中は、皆さまのご愛顧を賜りありがとうございました。
皆さまのおかげで、このように新しい年を迎えることが出来ました。
昨年以上、社員全員努力してまいります。
本年もよろしくお願いいたします。

今年の初詣はとても幸運な出だしで、行くところ行くところ駐車場も待たずに停車出来、参拝で人の波に流されてと言うこともなく、順調にお参りすることが出来ました。
年の始まりが良いと、何だか全てが良い方向に進める気がして、また、がんばろうと言う気持ちになります。

あまりおみくじを引かないけれど、1年に1度だけ、必ずここでのみ引くと決めているお寺があり、今年もそのお寺へ初詣に。
そのお寺だけ1日ではなく3日にしたのですが、その日のその時間は土砂降りの雨。
傘から流れる雨粒が大きな雫になって足元に落ちる。
それでも、それほど待たずに参拝することが出来たのは、この雨のおかげかもしれないと思いながら、境内へ。
そこのおみくじは、おみくじと一緒に小さなお守りが付いていて、そのお守りを毎年財布に入れ守っていただいています。
今年手にしたお守りは「鷽鳥(うそどり)」。
初めて目にしたそれに、これはどんな意味があるのかを調べてみると、悪いことを嘘に変えると言う意味があるのだとか。
こんなすごい神様。
お守りをいただきたくて引くおみくじも、もう何年になるのか忘れてしまったけれど、毎年異なる種類の神様を手にしていたのに、この鷽鳥は初めて。
何だかとても良い年になるのではないかと嬉しくなりました。

この神様に負けてしまわないよう、今年もがんばります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

本年もありがとうございました

師走とは、本当にあっと言う間に時間が消え、本日、仕事納めの日を迎えることになりました。

今年1年、弊社をご愛顧くださいましたお取引先の皆さま、そして、こちらのホームページまたはブログをご訪問くださいました皆さま、また、いろいろなことでご協力、ご指導くださいました皆さま、本当にありがとうございました。

今年の年明け早々、今年こそは弊社のホームページをリニューアルするとお約束し、スタートしたのですが、申し訳ありません。お取引先からのご依頼を優先しており、今年は自社のことに取り掛かる時間を作ることが出来ませんでした。嘘つきにはなりたくなかったのですが、結果的に嘘つきになってしまいました。申し訳ございません。これに懲りず、気長にお待ちいただけると嬉しいです。

今年を振り返ると、災害が多い年で多くの悲しいニュースが流れた年でした。新年は、被災された方々が少しでも安らげる環境が整い、そして、これ以上災害で悲しむ方が増えない年であるといいなと思います。
また、自社としては、いろいろな手続きに奔走する1年でした。
その手続きを行う過程や、手続きの最中で、つくづく感じた言葉のコミュニケーションの難しさ。文字に置き換えることで伝わらなくなる。そんなことを何度も経験した年でした。文字は、読み手の心の持ち方で、同じ言葉が様々な感情表現に変化してしまう。音で伝えると、笑う、悲しむ、怒るが伝わるけれど、文字だけでは伝わらない。こうして、ブログと言う形で言葉を発信しているけれど、読んでくださる皆さまに、自分の思う通りには伝わっていない場合もあるのだと思うと、怖いことなのかもしれないと思う時があります。

また、音で伝えても、捉える側の受け取り方で変化してしまう。人には感情があり、その感情で誤った理解をされると、伝わるべきことが伝わらなくなる。人と人のコミュニケーションには、お互いの信頼が無いと、全てが上手く動き出さないのだと、思い知った年でもありました。

そんな疑心暗鬼になりそうな自分に、勇気をもらうことが出来たものがあります。弊社の社員証には、「わたしたちの信じる道」と言う訓示が記されています。それは弊社の社員に社長から向けた10の言葉。

・信じること—自分自身を信じ、仲間を信じることで、未来を切り拓いて行くことが出来る。

・夢中になること—夢中になることで、知らなかった世界を拓くことが出来る。

・楽しむこと—楽しめないことは長続きしない。それなら、どうすれば楽しめるかを考える。

・耳を傾けること—自分の声も、他人の声も、そこには貴重な考えが埋もれていることがある。

・恐れないこと—困難でも立ち向かう勇気を持つことで乗り越えられる。

・時間を大切にすること—時間は永久には存在しない。だからこそ大切に使わなければならない。

・偽らないこと—真実の声は誰の心にも届いて行く。それが原点だと知るものに未来はある。

・思いやること—他人を思いやることが出来ない人に力を貸してくれる人はいない。

・勉強すること—知ることを努力する人は、永遠に終わらない。

・動くこと—何もしないことほど残念なことはない。動くことは未来を変えることになる。

本来なら、訓示を公開することはありません。けれど、わたしたちは時々この訓示を目にすることで、原点を忘れず一歩ずつでも前進出来るよう日々努力していること、そして何より、この訓示をとても誇りに思って仕事に取り組んでいることを、ご訪問くださった皆さまにもお知らせしたかったこともあり、今回、掲載することにしました。

この訓示により、苦しい状況でも抜け出せる心の持ち方が出来、また、難しい状況でも取り組むことを継続する強い心を得ることが出来ました。

わたしたちの仕事は「黒子」。対価をいただき、ご希望の仕事が動く環境を作る仕事。動いて当たり前の仕事なので、評価されることはほどんどないけれど、安心してご依頼いただけることがわたしたちを評価してくださったことになり、それが喜びです。今後も、一生懸命努力してまいります。

新年も、変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

願いが叶うなら

以前の職場の仲間と会う機会を作って下さって、先日、昼食をご一緒させてもらう為、久しぶりに電車で神戸へ向かった。

神戸へは何度も行ってはいるけれど、いつも車が多く、乗り換えながらの電車移動が新鮮で楽しく、こういうのもいいものだと車窓から流れる景色を眺めながら思っていた。

実はものすごく方向音痴で、車でも、ナビの指示を理解することが出来ず、道路を間違えて違う方向へ走ったりするので、今回大丈夫かなとかなり慎重に移動。結局、予定通りの電車に乗り到着出来たものの、それで安心してしまって最後の出口を間違えてしまい、ずいぶん待たせてしまう結果に。詰めが甘いなと我ながら苦笑してしまった。

独立して実に8年だと話していたが、実はそれも1年間違っていて、7年目に入っていたのだったと帰宅してから気が付き、まぁ、言ってしまったものは仕方ないと開き直ることに。それにしてもずいぶん久しぶりの再会であったのに、長く一緒に仕事をしていた仲間との時間は瞬間に呼び戻された気がした。

忙しくしていた毎日の中で、そんな時間を与えて下さったことに、本当に感謝した日。

ずいぶん長い時間の経過の中で、それぞれにいろいろな周辺の変化が起こっていて、それらの話を聞きながら、自分の話をしながら、少し前に参拝した神社を思い出していた。

島根県松江市 玉作湯神社

願い石 叶い石

本当は縁結びで訪れる方が多いのだそう。けれど、願いを叶えてくれるとされるこの神社。

縁結び。

それは、人と人のつながり。どんな縁結びでもいいのではないかと思い参拝する。

多くの人の力を分けていただいて、今の自分がある。その人と人とのつながりに感謝し、関わりある全ての人が幸せであるようお願いする。

その力が働いたのかもしれない。

それから間もなく、再開の約束の知らせが届いた。

また会う日まで、みんなが元気に、いつまでも笑って思い出話が出来るように。

音のある世界

そのお寺には、とても多くの耳の病に苦しむ方々の絵馬が奉納されている。

三千院の脇を通る坂道をひたすら歩く。綺麗な小川が流れ、それまでの賑やかさが嘘のようにとても静かで、水の流れる音、山に住まう鳥の鳴き声、風に揺れる草が戯れる音、自分の呼吸が聞こえる。とても静寂な世界に引き込まれるようではあるけれど、とても緩やかな時間が流れている。

京都 来迎院。

『耳が聞こえるようになりますように』

音の無い世界を知らない自分にとって、想像すらしたことの無かった文字が連なり、苦しむ方々の気持ちが痛く突き刺さる。そう言えば、近しい人の中の一人が、長く耳鳴りに苦しんでいたことがある。一瞬の耳鳴りは経験があるけれど、ずっと聞こえる異音。それもどんなに苦しいことだろうと今さらながら思い出していた。

参拝する途中の、自然界から放たれる数々の音は、とても心地よく、日々の作られた音ばかりの世界とはまた違った、癒される音に触れられる場所であるけれど、それらを聞くことの出来ない方々が、どんな思いでこのお寺に足を運ばれたのだろう。

自分の恵まれた現状に、感謝しなければならないと思った。

一隅を照らす

猫の通り道。

そんな狭い道路を行き交う車。譲り合う気持ちが現代の人々の中には小さいのだなと思うような口論を目の当たりにし、日本人としてとても切なく悲しい気持ちに包まれた日。こんな光景、しかも、こんな場所では触れたくなかった。

小春日和が心地よかったこの日、以前から行きたかった京都の三千院へ向かう。

人が多く、とても華やかな印象のお寺。

けれど、三千院に近い駐車場へ移動するには、交互に通らなければ通れないほど狭い道路で、すれ違うだけでも一苦労。自分はそこまで狭くなる手前の駐車場に停めて歩いていた。少し歩くと更に狭くなる道。すれ違うことが出来ない車と車。激しく言い合いが始まる。そんな知らぬ人のやり取りを耳にしながら、諍いが生まれた状態で参拝してご加護などあるのかなと訝しい思いを胸に参拝することになる。

中では、ずっと仏前に座り、長い時間をかけて祈る人。人と人の流れに押されて祈る時間も取れずに押し出される人。写真撮影禁止と言われていても、撮影する人。多くの神社仏閣へ足を運んできたけれど、こんなにも日本は崩れてしまったのかと思ったことはまれで、とても心が痛く、そう思ってしまう自分の邪気が空気中に拡散し、それらが更に周囲の人の心に侵入するのではないかと自分自身が抵抗し、格闘する心で疲弊してしまった日となった。

唯一、御朱印を頂いている間、とてもなめらかな筆運び、墨汁の色香、紙の上を筆が滑る音が心地よく、しばらく見とれながら過ごした時間が心地よかった。

このお寺は、最澄が開基したとされる。

最澄が広めたかった「一隅を照らす」。多くの日本人がお手本となって広まっていけばいいなと思う。

空を海を

勿忘草色の空と瑠璃紺色の海。

この世界にはこんなにも綺麗な色が存在している。

その空と海の間の空間に掛かる大きな橋。

橋から覗くその空間は、とても美しい。それなのに、その空間へ吸い込まれてしまいそうな錯覚が、わずかな恐怖を与えてくる。気が付けば鳥肌が立っていた。

もしも、翼を与えられたなら、そんなちっぽけな恐怖など気づくことなく、空と海の間を目がけて飛び立てるのに。でも翼はない。それなら、車と言うハサミになって、空と海の間に切り込みを入れているつもりで走る。その裂け目からは、また新しい空と海の間が次から次に生まれてくる。

まるで、人の生きる道みたいだなと思いながら道中を楽しんで移動。

秋晴れの心地よい日。

香川県 善通寺。

「虚しく往きて実ちて帰る」

何も知らずに中国へ行ったけれど、ものすごく得る物を得て帰ってきたと空海は言った。20年の予定であったのに、2年で習得した密教。そんな空海の生誕の地。

遠い時代に生きた人々の考えたことが、とても長い時間を超えて、今の時代に残されている。それだけでも凄いことで、その声に、そっと耳を傾けることは悪くないと感じている。

出来るからと努力をしない人は、そこまでしか辿り着けないけれど、出来ないことが出来るようになる喜びを知っている人はとても魅力的だ。空海は、そんな人だったのではないかと思う。

没頭できる何かを持っていることはとても素晴らしく楽しいと思う。

空海に会いたい。

帰りの瀬戸大橋。聴色と水浅葱色の空が、なんとも柔らかい夕焼けを醸し出し、今、その場で見ることが出来たことが幸せに感じた1日の終わり。

天気が良くてよかった。

神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う

透き通る程遠くまで、青が空一面を覆いつくし、雲のかけらさえ見えない晴。

高速を走る車。

いつの間にか空へ飛び立ち、鳥になったような気分で走る。

音も何も聞こえない世界へ誘い、ただ風に乗り翼で感じる鳥に。

止まっていた時間が息吹始める。

長く自分の時間を取ることが出来ずにいて、やっと少しだけ自由をもらった日。

岐阜県 伊奈波神社。

快晴のこの日、七五三や結婚式で人があふれ、駐車場に入るまで30分ほど待った。やっと車を停められ、少し昇坂道を歩き、急な階段を2か所昇ることで、神門へ。残念ながらここまで。中へは入ることが出来なかった。

階段を降りると黒龍大神があり、そこのパワーが凄いのだそう。

この龍頭岩にお願いすることで、どんな願いも叶えて下さるとか。

自分にも力を分けてもらう。

人が神を敬うことによって神の威力は増し、人が神を敬うことで得られた神徳で良い運が得られると言う「御成敗式目」に記された言葉を信じることも、自分を強くする一つだと思っている。もともと神など存在しないのではないかと思っているけれど、信じる場所、信じる物など、人が信じると言う力が不思議な力を生むと思っていて、自分も守られている感じをずっと感じている。もしかすると、神社仏閣が心地よく感じることは、そう言うことなのかもしれない。自分が信じるものだからこそ、そこに力が生まれている。それと同じように多くの人の心が集まると、その場所は更に大きな力が生まれる。

そんな風に思いながら、やっと自分で呼吸をすることが出来た。

また、明日がやってくる。

 

姫りんご

 

目の前の景色がいつの間にか秋色に染まっていることに、最近になって気づいて、行きたかった場所があったのに、時間の流れに追いつけない自分。

この頃の時間の速度は半端ない。

今も外では秋祭りの太鼓の音、子供たちの声が聞こえる。秋祭り?そんな季節なのだと改めて実感する。

事務所の前には姫りんごの木があって、その実は赤く色づき始め、これを見ても秋だと感じられなかった自分にがっかりする。

食べられるが食べることはほとんどなく、それでも、青い実から赤い実へ変化するまでの期間、とても楽しみにしていたのに。今年はそれすらあまり出来ずだったのだなと思うと、いつもと違うことを感じずにはいられない。

空気が恋しい。

なかなか思った場所に出かけることが出来ない中でも、仕事の合間に立ち寄るいろいろな地元の名所も気分転換になる。

「湯村温泉」荒湯。

この荒湯の温泉玉子は絶品。まずはそのままで食べたい。そのままでもとても美味しいのだ。年に数回食べたくなって、立ち寄ることがある。この温泉玉子、その日によって温泉の温度が違うため、茹で上がる時間が若干違う。近くのお店、「とちせん」で玉子を買うと、最適な時間、玉子を浸ける場所を教えてくれる。とても親切なのだ。

「とちせん」は栃餅を販売するお店。この栃餅もとても美味しい。風味が何ともクセになる味。その栃餅を販売するお店の中には、冬にとっても最適なものがある。

「地熱洞」温泉の熱で温められる洞窟。

常に50度位ある。

この熱が、体のあちこちに良い効果を与えてくれるのだとか。確かに体が芯から喜ぶ感じがする。

湯村温泉のこと、何故体に良いのかなど、説明されている看板がかけられていて、この説明を読みながら、ゆっくり体を温めることが出来、服を着たまま温泉の効能を味わえる場所。

空気が恋しい。

そんなこと思っている場合ではない。ここもまた温かな空気に包まれ、自分を癒してくれる。

恋しい空気。

ゆっくり出来る時間がある時、また行きたいと思う。