逢魔が時

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兵庫県豊岡市の清滝小学校の桜。

仕事の帰り道に寄ったので、夕暮れ時(逢魔が時と言うのです)となってしまったので、桜の綺麗な色は写真に残すことが出来ませんでした。

校門を入る辺りから、空を覆い尽くす程の大木の桜が出迎えてくれ、辺り一面桜の香りがいっぱいに広がっていたこの日。散歩のわんこが数匹、楽しそうにグランドを駆け回り、人間より臭覚の優れる動物なのだから、もっと桜の香りを感じているのかもと思いながら歩いていました。

逢魔が時。魑魅魍魎と出会うと言われる時間帯。

こんなに美しい桜が、これほど立派に咲き乱れているのだから、人間以外のものも、それらを楽しんでいてもおかしくないのかもと思う。この香りを写真のように残せたらいいのに。

数日たった今、まだ桜の香りを感じている。

盲杖桜

見えない人間にはなりたくない。

日々そう思っている。

見えないとは、目が見えていないと言う意味ではなくて、目に見えないものが何なのかを感じることが出来る目と言う意味。それは、空気だったり、人の心の奥だったり、もう会うことの出来ない人の気持ちだったり。いろいろなものがあります。

そう簡単にはそんな人間にはなれないけれど、出来ないと言って諦めたくない。

最近、WindowsよりMacの方が優れているように思うと言う方と話をする機会があり、その話を聞きながら疑問を感じている自分がいました。そうだろうか。MacはMacの良さがある。WindowsはWindowsの良さがある。Macを否定している訳ではなく、自分もMacを使っている。素晴らしいと思う。もちろん、Windowsはもっと使っている。それもまたとても良いものがある。何故一部だけを比較して、良し悪しを口にするのだろう。

例えば、iPhoneとAndroidスマートフォン。サクサク動くのはiPhoneだと思うけれど、細かい動作、日本人特有の親切さを求めるとAndroidスマートフォンの方が素晴らしいと感じる。もちろん感じ方はそれぞれなので、私が思っていることが正しい訳でもない。技術の進歩はもの凄いスピードなので、一時的なタイミングで評価しても、日々違って来ていることが多く、それらをしっかり見る目を持っていないと、偏った感覚になってしまう。どちらにも良い所も悪い所もある。自分に合うのはこちらと言う表現なら別だと思うけれど。

ずっとWindowsの開発を行ってきたから、その評価に疑問を感じたのかもしれません。けれど、何を基準にしているのかで、違うはずの物を、同一のように評価することに疑問を持っているので、そのことに自分なりに対抗したいとスイッチが入りました(笑)。今、弊社のホームページのリニューアルを少しずつではあるけれど始めていて、開発はWindows。Windowsを諦めたくないと言う、自分の中のスイッチが入ったから。諦めたくない。

レスポンシブ対応ページにするため、HTML5、CSS3、jQueryなどを勉強しながらの作成のため、かなり時間をかけてしまっているけれど、楽しい。こんなにいろいろ出来るようになっているのだなぁと感心したり、面白い。思うように出来ずに悪戦苦闘もしていますが。どんなホームページが多いのか参考のため、いろいろなホームページを閲覧していて、何だか昔に比べて個性が無くなった感じがして、どこも同じようなデザインのページが多いと感じました。そう言えば、最近出来る様々なお店の雰囲気も何だか同じような感じ。先日、神戸の某テーマパークに行きた時にも感じました。駐車場の一角に新規オープンしたお店が会員を募集していて、多くの方が集まっていて。おしゃれなんです。おしゃれなんだけど、何だか同じ。目を引くものが無い。自分だけがそう感じているだけかもしれないけれど。

いろいろ目にしていて感じたのは、違うものが作りたい。技術的に結局は同じようになってしまうのかもしれないけれど、少しでも何か違うものを感じてもらえるように出来ないのかと。同じじゃない何か自分だけにしか出来ないものが見えるといいなぁと思いながら取り組んでいます。

Windowsタブレット用のシステム開発も同時進行していて、こちらも今まで使っていた開発言語、そして、今回勉強しているWEBの技術、データベースを組み合わせたもので作っています。こちらも、良いものに仕上げて行きたいと思っています。Windowsも捨てたものではないなぁと言ってもらえるように。

見えない人間になりたくない。少し意味が違うけれど、そんな願いも込めて明石の柿本神社の盲杖桜を見てきました。まだ、他の桜の木は咲いていなかったけれど、盲杖桜は満開でした。どうか見えないものが見える人間に、いつか成長できますように。そのために努力は続けたい。

この日は、青空に桜がよく映えていた日。

 

意味を知る大切さ

人の体の中にある疫病を除いてくれると言われている、今宮神社です。

近しい人々の疫病を除いてほしくて、お参りしてきました。

この神社にお参りして知ったのですが、京都の三奇祭りの一つ「やすらい祭」。この神社の境内でやすらい踊りを奉納し、疫病を鎮め、健康を願うお祭り。

お守りを頂いた時、このお祭りの云い伝えについて記された紙を頂ける。それを読むと、古くから続く行事には、いろいろな意味があることを知ることが出来る。

最近では、古い行事が消えていく傾向があって、自分が住む地域でもかなり簡略化されたり、行事自体が消滅してしまったり。

けれど、この「いわれ」を読むことで、昔の人々の気持ちを知ることが出来、大切なことなのだと知ることが出来る。知らないって恥ずかしいことだと思ったのでした。

神社にお参りすると目に付く赤い人形「やすらい人形」に、名前を記入して納めることで、疫厄を祓うと言われています。いつもはお礼をまずするようにしていて、お願いはごく小さなことのみにするよう心掛けていたのですが、この日は、お願いが先立ってしまい、お礼を言い忘れてしまった。

まだまだだなと、自分が嫌になる。

けれど、少し気持ちも楽になる。

人って単純な生き物なのだなと、改めて思った日。

この単純が、本当は必要なことなのかもしれない。

学問の神様

本当は1月にホームページのリニューアルをお知らせしていたのですが、今年に入り早々から、近しき人々に次から次と突然の病魔がやってきて、バタバタと忙しなかったこともあり、なかなか進めることが出来ずに今日に至っています。

もう少し、リニューアルにお時間を頂くこととなりました。

申し訳ないです。

病魔はものすごく恐ろしい類に入るものではありましたが、幸いなことに後遺症も軽く、日常生活には支障が出ない程度まで回復。また、多くの方のお力をお借りして、日常に近い状態に戻ることが出来ました。

今回の件で、本当に人は誰かに支えられ、生きているのだなと実感。少しでも感謝を届けることが出来たらと思います。

さて、昨年の秋ではありますが、学問の神様へ行ってきました。

北野天満宮。

学生さんの波にのまれながら進み、何とかお参りしてきました。学生ではないけれど、まだまだ勉強しなくてはならないことが多く、日々、足りない頭に一生懸命知識を植え込む努力をしているけれど、何とかもう少し時間をかけずに、記憶の持続をお願いしたい・・・

正直、学生時代より勉強しなければならない毎日。けれど、どんどん脳のシワは消失していて、記憶の持続が出来ず、翌日には忘れる・・・もう少し良い頭なら良かったのにと思う(笑)

今のところはまだ、良いご利益は頂けてはいないけれど・・・がんばります

 

今年もありがとうございました

あっという間に年末で、残すところ数日で新年を迎える年の瀬となりました。

今年もいろいろなことがあり、いろいろなことに挑戦し、泣いたり笑ったり忙しくお仕事させて頂くことが出来ました。

株式会社コラボラボと一緒に歩いて下さった皆様に支えられ、今年の業務を終えることが出来ました。心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

来年、更に皆様のご期待に応えられる企業になれるよう、社員一同、一生懸命に取り組んでまいります。

そして、こちらのブログにも、何件かコメントを入れて頂いているのですが、拙い文章であるにもかかわらず感銘下さった方などがコメントを入れて下さっており、しっかり心には届いておりますが、公開するにはちと恥ずかしく、申し訳ありません。。。保留状態にしております。

しかしながら、ご覧下さってることはとても嬉しく思っております。ありがとうございます。

まだまだ、続けて行きたいと思いますので、今後もよろしくお願い致します。また、1月には株式会社コラボラボのホームページをリニューアルする予定です。今、間に合うのか?と思いながら準備を行っています。時々、リニューアルも行うつもりでいます。そちらも、ぜひご訪問頂ければと思います。

更に、新しいこともいろいろ企画中ですが、来年中に発表出来るのか。。。もう少し時間がかかるかもしれませんが、いろいろなことに挑戦したいと考えています。お知らせ出来る日が来ることを楽しみに、がんばりますので、来年もよろしくお願い致します。

皆様、楽しい新年をお迎え下さい。

心の逃避行

かなりの回数、諏訪大社をお参りしていて、その周辺にはとても魅力的な場所が多くて、諏訪大社から富岡製糸場へ行く途中、道に迷って入り込んだビーナスライン。

心を洗おう。

最近、人の心理を考えることに疲れることがしばしばあって、こういう景色は自分の中の燻った場所を救ってくれます。ここで大声で叫んでみたら、とってもすっきりするんだろうなぁ。

自分は誰のものでもなく、自分なんだから。

先日、JR大阪駅構内にある某コーヒーショップで休憩していると、自分の空間に飛び交う中国語。日本語が全く聞こえてこず、目を閉じると異空間にいるよう。誰も自分を知る人がいない空間。構内を歩く人の流れを眺めながら、数分ではあったけれど心地が良い時間を過ごせました。

少し疲れているのかな(笑)

22日の朝、出勤準備をしていると、緊急地震速報がニュースで流れ、しばらくして津波警報。どうか大きな津波が来ませんように。そう祈っていました。

津波の影響はない地域ではあるけれど、早朝から関東に住む友人にLINEを送る。大丈夫?大丈夫と返事が来る。それでもずっと不安が心を支配していた日。

ここ数年、命について考えさせられることが多くあって、災害で消えてしまう命、病で消えてしまう命、生まれることのニュースは少ないけれど消える命のニュースの多さに心が痛い。自分のことではないけれど、苦しく感じてしまうのです。

少し前に行った、播州清水寺。

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ここの奥にある、おかげの井戸。

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井戸の上から覗き込み、水面に映る自分の姿を見ることが出来た人の寿命を延ばしてくれると言われています。

今は祈ろう。

祈ることしか出来ないのだから。

第17回スズカ8時間エンデューロ秋sp 初参戦

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11日の夜9時に出発し、12日午前1時、鈴鹿サーキットへ到着。深夜なのにここでは既に多くのライダーたちが集っていて、夜明けを待っていました。皆さん寝袋持参で車の中で仮眠する方、テントを張って仮眠する方、既に自転車に乗ってアップを始めている方、ランニングをする方など、本当に多くの方が早朝、いいえ夜中です。夜中にもかかわらず集まっていたことに驚きました。

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時間に余裕を持った計画を立てて移動したつもりでいたのに、初めてであるがゆえに戸惑うことばかり。

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朝6時からはコースの試走行が可能となるので、こんなにザワザワしています。

今回、TEAM COLLABOLABO自転車倶楽部は、4時間ミニ・リカンベントの部門へ参戦。目標は20周でしたが、とっても惜しい19周。けれど、もう目の前にゴールが見えている所まで20周目をライダーが懸命に走っていたんです。あと20秒程あれば・・・

(この20秒、交代の仕方を工夫すれば余裕で縮めることが可能な時間。と言うことは、そこを改善するだけでも20周は達成できるはず。と言うことは、もっと上位に入れるかも!)

でも、予想していた順位よりはるかに上位に食い込むことが出来た今回、初参戦で結果13位は想定していなかった順位です。

疾走してくれた精鋭たちのがんばりは本当に感動でした。皆さん本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

また次回、チームワークに磨きをかけてこの戦いに挑む予定です。課題をクリアして、もっと高い所を目指そう!

 

言葉

金閣寺

水面に浮かぶ黄金色、異国の人々に覆い尽くされ、時の流れに何を思うだろう。

もうすぐ色とりどりの木々に覆われ美しい衣を纏った金閣寺を目に出来るけれど、美しい季節の到来時には、この敷地に入ることすら難しくなると思い、まだ濃い緑の季節に訪れました。

異国の人々の話す言葉が途切れることなく聞こえ、日本の人まで異国の言葉で話す。個人タクシーの運転手さんも異国の言葉。自分にも話せると楽しいのにと、自分の無能さにがっかりしながら、人の流れに押されて歩く。

異国の人々の言葉の音を耳にしながら、言葉って難しいなと考えてしまう。

心の中を言葉で表すことって難しい。なかなか伝わらない。自国の言葉でさえ、思っている通りに伝わることがどれくらいあるだろうと考えてみる。確かに微妙に違って伝わっていたり、全く違う意味に変わっていたり。

伝わらないって何てもどかしいことなんだろう。

でも、どんな言葉でも、人の気持ちがそこにあるか無いかは何となく伝わってしまうと思うので、どんな時でも、真剣に取り組むことに努力しなくてはと自分に言い聞かせ、異国の人々と共に歩いていました。

共に歩く。

それは大切です。

もう一度

私の祖母が眠るお寺。

大阪の天王寺にある一心寺。

一心寺

数年前、大好きだった祖母が他界した時、家族でいろいろ話し合って、このお寺でお骨をお地蔵様にしてもらうことを選択。お墓がある訳ではないけれど、このお寺には祖母の遺骨があります。ここに来ると祖母と話が出来る気がする。

毎年お参りに来たいと思っていたのに、なかなか来ることが出来ず、今回2年ぶりとなりました。

大阪の高速道路が苦手で、この日は一般道を車を走らせ移動。意外と近く感じました。これならまた来れるかも。

祖母は私たちが来ることを待っているのかもしれないと思うんです。それは、どんなに天候が荒れていても、お寺の近くになると決まって太陽が覗く。不思議なくらい毎回。この日もそうでした。

祖母の人生を誰かに話す機会があったとしたら、それはそれは大河ドラマでも作れてしまうのではないかと思えるくらい波乱万丈。

だからいつも思う。

もし来世があるのなら、この人を幸せにしてあげて下さいと。

おばあちゃん、また来るね。