世の中に山てふ山は多かれど

この日はほとんど太陽の日差しは見えず、それでも多くの方がお参りされていたお寺。

比叡山延暦寺。

ここは根本中堂。鐘を撞くのに並ぶ人々。他の方を案内されていた方の話を小耳にしたところ、鐘を撞くことで願が叶うとされているとか。ずっと以前から一度は訪問したかった場所ではあったのに、あまり下調べもせずに来てしまい、詳しい歴史も、どうして人々が多く集まるのかも、知らずに訪れてしまった。それでも、心地よい風が吹き、帰るまで雨も降らず、何となく歓迎してもらえたのかもと少し嬉しくなったのでした。

基本的に、感覚で動く傾向のある自分は、あまり計画を立ててお参りなどするのではなく、自分の心が惹かれる場所を、その日の感覚のみで移動すると言う、とんでもなく無鉄砲な性格のため、知らないことをその場で知ることが多い。でも、そんな感じが好きで、あまり詳しく調べてしまうと新鮮な目でその場所を見て感じることが出来ないので、行き当たりばったりの方が楽しいのです。

釈迦堂。

階段を降りながら見えてくるこのお堂は、ラストエンペラーを思い出す建物。天気がよければ、とても綺麗だったのにと思う。移動に長い階段を降りる位置にあるお堂。それがとても新鮮に感じる。お寺でも神社でも、階段を昇ることが多い。この降りる位置から見えてくる光景が不思議な感覚と、迎えてくれる周囲の樹木がものすごく高く、吸い込まれていくような錯覚がある。

横川中堂。

曇っているのに、何故か日が差しているように明るく見える。ここが舞台作りと言われ、階段を昇るお堂。ここでは真剣に護摩に願い事を記されている方がいて、本当は自分もと思っていたけれど、邪魔になってはいけないなと思い、通り過ぎました。何か苦しまれていることがあって、ここへ来られていたのかもしれない。

いろいろな方のいろいろな思いがあふれ、それを受け止める場所として存在しているのだとしたら、大切に維持していかなければならないなと感じました。世界平和と記された蝋燭が灯されていて、どうかその願いが、世界中の方々に届きますようにと、自分も小さいながら手を合わせました。

その願いが届きますように。

極楽浄土の入り口

紫陽花の花を観たくてこのお寺へ行ってみたけれど、湿度がものすごく高く、気温も33度。過酷な山登りになってしまいました。

あまりにも暑いので、紫陽花も多くが頭を垂れていて、水分がほしいと訴えているようでした。紫陽花の季節が真夏なら良かったのかもしれない。兵庫県小野市にある浄土寺。山号を極楽山と言う。ここはもしかしたら極楽浄土への入り口かも。

裏山に入っていくと、小さなお地蔵様がかなりの箇所に点在し、その山道の周りに数種類の紫陽花がかなりの背丈で迎えてくれる。かなりの方が参拝を兼ねた紫陽花散策にこられていました。国宝の浄土堂があり、おそらく阿弥陀三尊系像など拝見出来たのだろうけれど、しっかり戸締りされている各種お堂は外からはその様子を見ることは出来ず。何人かの方は中へ上がっておられるようであったので、もしかすると予約か、お寺にお願いすると入らせて頂けるのかもしれない。

紫陽花を目的としていたので、とりあえず順路通り。

途中から紫陽花は無くなるけれど、どこへ向かうのかと歩き続けると、いつの間にか元の入り口に戻ってきた。それほど急な坂道とかある訳ではないのに蒸し暑さが体力を奪い、戻ってきたらすっかりぐったりとなってしまう。極楽浄土はそんなに簡単には行かせてもらえないらしい。

それでも鶯が鳴いていて、これで少し風でも吹いていれば、とても心地よく歩けたのかなと思いながら、歩いている時間はただひたすら、どこに行くのだろうと言う高揚感を体験することが出来ました。

外を歩くと言うことは、人にとって大切なことだなと感じることが出来て良かった。

たった一つの願い事

梅雨とは思えないくらい、夏らしい暑さのこの日。日中は日差しも強く気温も上昇しているけれど、蒸し暑さが無いので過ごしやすい。

ここ数週間、ほとんど外出していなかったので、とても心地よく感じたこの日。

出迎えてくれたのは見上げるほど大きな鳥居。昔の物は昔らしくが好ましく感じている自分にとって、無機質な材質の大きな鳥居はそれほど魅力を感じず、かえって残念に思っていたけれど、参道を進み、見えてきた境内はとても美しく、歴史を感じさせるもので、先ほどの残念感も払拭されました。

太陽の光と、樹木の陰。陰陽の色彩が美しい。

参拝がとても楽しみになる門。

ここは、兵庫県高砂市にある鹿嶋神社。

願い事を一つだけ叶えてくれると言われている。

一つだけ選ぶとしたら、自分は何を願えばいいのかなと考える。救いたいものが多くある。もちろん自分の力でそんなこと出来るはずもなく、そして、努力せずに救ってもらえるわけもない。それでも、救いたいものがあって、そう思う気持ちはいつかどんな形でも届くのではないかと信じていたい。

大きな芽の輪を八の字に潜ることで、身についていた穢れを除くことが出来ると言われている。自分の穢れを取り除いてもらおうと、自分もくるくる回る。人型の祈祷用紙に名前と年齢を記入し、稲穂料を一緒に納めるようになっていて、多くの方が一生懸命に記入されていた。これほど願わなければならないことがある人が多いのだなぁと思う。

自分もお願いしようと思って、お願いしたい人の名前と年齢を記入し、稲穂料を納めることに。願うことはただ一つ。大きなことでも小さなことでもなく、普通のこと。

帰りの参道には、柏餅が名物なのか、数店柏餅のお店が並ぶ。お店のおばさんが、保存方法や、戻し方などを教えてくれる。少し会話をしながらお餅を待っていて、関西弁ではあるけれど、大阪や京都とは少し違う音に、以前、一緒に仕事をしていた時の先輩を思い出し、そう言えば、こんな話し方だったなと懐かしく感じていた。

そんな懐かしい記憶と、太陽の光を久しぶりに感じることが出来、また気持ち新たに、がんばろうと思った、良い日となりました。

スズカ8時間エンデューロ2017 春SP

大会が終わって、時間が過ぎてしまいましたが、2017年5月28日、前回秋大会に出場しましたコラボラボ自転車倶楽部が、春大会にも出場しました。

前日の夜出発し、夜中12時半、鈴鹿サーキットへ到着。今回は2回目とあり、前回失敗だった準備も万全、大会に臨みました。

当日朝、早朝からかなり太陽の日差しが強く、真夏日。日陰の気温はそれほど高くないのに、、日向は突き刺さりそうなくらい痛い日差し。秋より少し出場人数は減って6,000人と発表されましたが、それでも多くのライダーが集い、サーキットは満杯状態。

今回もコラボラボ自転車倶楽部が出場したのは、4時間ミニ・リカンベント部門。bromptonでの出場です。

秋より太陽が高い。

雨が降るかと思っていたので、快晴で良かったけれど、ライダーの体力の消耗も激しくなりそうです。

まだレースが始まっていない早朝。

スタートは午前8時。多くのチームの皆さんが夜中から待機し、レースのスタートを待ちます。今回2回目とあって、コラボラボ自転車倶楽部も少し余裕の待ち時間。

スタートする少し前。

スタート地点に移動を開始される方。応援される位置に移動される方。ザワザワし始め、午前8時3分スタート。

前回20周に手が届く19周だったので、全員20周を目標としました。

早く終わらないと、ライダーの体力に限界がと思う反面、あと少し、時間があればと思いながら応援。多くのライダーの中からチームの皆を見つけることも難しく、カメラを構えて待っていても、気が付けば通り過ぎている始末。

後ろからガンバレーと声援を送るも、周りの応援に消される声。

そんな中でも、ライダーたちはがんばりました。

今回、コラボラボ自転車倶楽部は20周、4時間ミニ・リカンベントの部、第5位に入賞しました。

凄い!こんなに早く上位に入れるとは。

タイヤの径がかなり違う部門でもあり、この5位と言う順位は本当に大健闘でした。

本当にお疲れ様でした。

 

 

水流のままに

水は自分の意志で流れているわけではない。

でも、自分の意志があるかのように流れる水。

すごく壮大な景色の「吹割の滝」。

流れる川から水が宙にはじかれて、空気中に浮遊し、それが微粒子の霧となって周囲の樹木を潤してくれる。空気が違うのです。美味しい空気とは、こういうことを言うのだなと思わせてくれる。

美味しい。

ずっと呼吸をしていたくなる。

もしも、何かで心が疲れてしまったのなら、またこの滝を訪れてみようと思う。

福徳を積む者

福徳な顔の御坊様に出会った。

福徳な笑顔は人の心を和ませる。

自分もそんな顔になれる日が来るだろうか。

福井県にある、永平寺。

新緑が目に眩しく、まるでこの空間だけが宙に浮いているかのような錯覚が、天界とつながっているのかと夢見てしまいそうになる。来て良かったと思えたお寺。

綺麗に磨かれた床はつるんつるんで、気を付けて拝観しなければころんでしまう。

こんな階段がいっぱいなのです。この階段、少し手前に傾斜がついていて、段の高さは低いのですが、すべるすべる。けれど、これほど綺麗に磨かれた床、階段は見たことがなく、毎日毎日修行僧の方たちが早朝から掃除されているのかと思うと、頭が下がります。感動。

線香の香りに包まれ、1時間程時の止まった時間を過ごすことが出来ました。

日常を忘れさせてくれる、寺社のこの空気感が心地よい。

感謝をして帰路に。

この海は宮津。

凪の海。夕日が水面にキラキラと薄ら朱色に染め美しかったです。

花・花・花

チューリップがいっぱい。

チューリップがいっぱいなのを見て思ったのは、「そうだ、ダリアの球根植えよう」でした。チューリップは今咲いていて、今からだと球根植えてもと思いついたのだと思うけれど、少し遅いかも。でも、ダリアの球根買いました。

兵庫県立フラワーセンター。

駐車場に入るのに渋滞していて、30分程待ちました。小さな子供を連れた家族、わんこを連れた家族、老若男女、ものすごく多かったです。敷地内は広く、ため池?を囲った遊歩道があり、一周けっこう距離がありました。季節折々楽しめるよう、いろいろな木々が植えてあり、この日は快晴で散歩が心地よかった。

途中咲いていたたんぽぽ。天気が良かったので、すみれも多く咲いていて、雑草だけどきれいに咲く姿が、作られたものとは違う繊細さの中にたくましさもあって、美しい。

もう桜は終わっていると思っていたのに、八重桜が満開で、偶然観ることができて良かったです。

通常大人は800円入場料がかかりますが、コープこうべの会員証を提示すると2名まで半額。少しのお得感と、綺麗な花に心が洗われた日となりました。もう少しすると藤の花が満開になるかも。

 

 

逢魔が時

kiyotaki

兵庫県豊岡市の清滝小学校の桜。

仕事の帰り道に寄ったので、夕暮れ時(逢魔が時と言うのです)となってしまったので、桜の綺麗な色は写真に残すことが出来ませんでした。

校門を入る辺りから、空を覆い尽くす程の大木の桜が出迎えてくれ、辺り一面桜の香りがいっぱいに広がっていたこの日。散歩のわんこが数匹、楽しそうにグランドを駆け回り、人間より臭覚の優れる動物なのだから、もっと桜の香りを感じているのかもと思いながら歩いていました。

逢魔が時。魑魅魍魎と出会うと言われる時間帯。

こんなに美しい桜が、これほど立派に咲き乱れているのだから、人間以外のものも、それらを楽しんでいてもおかしくないのかもと思う。この香りを写真のように残せたらいいのに。

数日たった今、まだ桜の香りを感じている。

盲杖桜

見えない人間にはなりたくない。

日々そう思っている。

見えないとは、目が見えていないと言う意味ではなくて、目に見えないものが何なのかを感じることが出来る目と言う意味。それは、空気だったり、人の心の奥だったり、もう会うことの出来ない人の気持ちだったり。いろいろなものがあります。

そう簡単にはそんな人間にはなれないけれど、出来ないと言って諦めたくない。

最近、WindowsよりMacの方が優れているように思うと言う方と話をする機会があり、その話を聞きながら疑問を感じている自分がいました。そうだろうか。MacはMacの良さがある。WindowsはWindowsの良さがある。Macを否定している訳ではなく、自分もMacを使っている。素晴らしいと思う。もちろん、Windowsはもっと使っている。それもまたとても良いものがある。何故一部だけを比較して、良し悪しを口にするのだろう。

例えば、iPhoneとAndroidスマートフォン。サクサク動くのはiPhoneだと思うけれど、細かい動作、日本人特有の親切さを求めるとAndroidスマートフォンの方が素晴らしいと感じる。もちろん感じ方はそれぞれなので、私が思っていることが正しい訳でもない。技術の進歩はもの凄いスピードなので、一時的なタイミングで評価しても、日々違って来ていることが多く、それらをしっかり見る目を持っていないと、偏った感覚になってしまう。どちらにも良い所も悪い所もある。自分に合うのはこちらと言う表現なら別だと思うけれど。

ずっとWindowsの開発を行ってきたから、その評価に疑問を感じたのかもしれません。けれど、何を基準にしているのかで、違うはずの物を、同一のように評価することに疑問を持っているので、そのことに自分なりに対抗したいとスイッチが入りました(笑)。今、弊社のホームページのリニューアルを少しずつではあるけれど始めていて、開発はWindows。Windowsを諦めたくないと言う、自分の中のスイッチが入ったから。諦めたくない。

レスポンシブ対応ページにするため、HTML5、CSS3、jQueryなどを勉強しながらの作成のため、かなり時間をかけてしまっているけれど、楽しい。こんなにいろいろ出来るようになっているのだなぁと感心したり、面白い。思うように出来ずに悪戦苦闘もしていますが。どんなホームページが多いのか参考のため、いろいろなホームページを閲覧していて、何だか昔に比べて個性が無くなった感じがして、どこも同じようなデザインのページが多いと感じました。そう言えば、最近出来る様々なお店の雰囲気も何だか同じような感じ。先日、神戸の某テーマパークに行きた時にも感じました。駐車場の一角に新規オープンしたお店が会員を募集していて、多くの方が集まっていて。おしゃれなんです。おしゃれなんだけど、何だか同じ。目を引くものが無い。自分だけがそう感じているだけかもしれないけれど。

いろいろ目にしていて感じたのは、違うものが作りたい。技術的に結局は同じようになってしまうのかもしれないけれど、少しでも何か違うものを感じてもらえるように出来ないのかと。同じじゃない何か自分だけにしか出来ないものが見えるといいなぁと思いながら取り組んでいます。

Windowsタブレット用のシステム開発も同時進行していて、こちらも今まで使っていた開発言語、そして、今回勉強しているWEBの技術、データベースを組み合わせたもので作っています。こちらも、良いものに仕上げて行きたいと思っています。Windowsも捨てたものではないなぁと言ってもらえるように。

見えない人間になりたくない。少し意味が違うけれど、そんな願いも込めて明石の柿本神社の盲杖桜を見てきました。まだ、他の桜の木は咲いていなかったけれど、盲杖桜は満開でした。どうか見えないものが見える人間に、いつか成長できますように。そのために努力は続けたい。

この日は、青空に桜がよく映えていた日。

 

意味を知る大切さ

人の体の中にある疫病を除いてくれると言われている、今宮神社です。

近しい人々の疫病を除いてほしくて、お参りしてきました。

この神社にお参りして知ったのですが、京都の三奇祭りの一つ「やすらい祭」。この神社の境内でやすらい踊りを奉納し、疫病を鎮め、健康を願うお祭り。

お守りを頂いた時、このお祭りの云い伝えについて記された紙を頂ける。それを読むと、古くから続く行事には、いろいろな意味があることを知ることが出来る。

最近では、古い行事が消えていく傾向があって、自分が住む地域でもかなり簡略化されたり、行事自体が消滅してしまったり。

けれど、この「いわれ」を読むことで、昔の人々の気持ちを知ることが出来、大切なことなのだと知ることが出来る。知らないって恥ずかしいことだと思ったのでした。

神社にお参りすると目に付く赤い人形「やすらい人形」に、名前を記入して納めることで、疫厄を祓うと言われています。いつもはお礼をまずするようにしていて、お願いはごく小さなことのみにするよう心掛けていたのですが、この日は、お願いが先立ってしまい、お礼を言い忘れてしまった。

まだまだだなと、自分が嫌になる。

けれど、少し気持ちも楽になる。

人って単純な生き物なのだなと、改めて思った日。

この単純が、本当は必要なことなのかもしれない。