時間との闘い

空模様もよく、ドライブ日和だったので、車を走らせてたどり着いたお城。

思っていたよりも天守は小さかったけれど、何だかものすごい人・人・人。どうやら、築城410年祭の最中だったよう。

知らずに天守内見学の列に並んでいて、待ち時間2時間。夕方6時頃になってしまう。もう辺りは真っ暗になる時間。残念ではあったけど、見学を諦めることに。また、次の機会があればにしよう。

天守の裏に回って降りることにしたら、そこにはすごい石垣。天守は見学出来なかったけれど、それ以上に感動。

どれくらいの人の力が、この石を積み上げて行ったのだろう。

昔の人々は、本当に我慢強く、力を合わせてコツコツと、頭の下がる作業をやり遂げられたのだなと思いを馳せる。

彦根城の内堀を周るだけでもかなり距離があって、汗ばみながら一生懸命歩く。

途中、秋に咲く種類の桜がちらほら咲いていて、心に癒しを。

琵琶湖を周って帰路に就く。

冷たい風が頬を掠めた。

天に掛ける橋

天に掛ける橋、現世に語り継がれる伝説は遠い時代のお話だけれど、未来へと夢が続く。

京都府宮津市。日本三景のひとつ、天橋立にある籠神社。

綺麗に管理されている神社。残念なことに神門から中の撮影は禁止されていました。

近くにあるので、かなりの頻度で天橋立は訪れているけれど、この神社は初めて。こんな綺麗な神社があるとは思ってもいませんでした。神社にお仕えする方の人数も多く、観光客の方も多く参拝されていました。

この神社の奥宮真名井神社は、豊受大神が鎮座された地と言われていて、そこには「天の真名井の水」が。神様の世界の水を持ち帰ったと伝えられ、多くの方がこの水に力を感じ、訪れる方が多いのだそう。

「力」を授かろう。

何かに助けられる「力」、誰かに助けられる「力」、もちろんそれらも「力」。けれど、今自分に足りないものは、自分の中に眠る小さな「力」を呼び起こす「力」。それはちっぽけな「力」かもしれない。でも、自分を見失わず、自分を信じること。時には思いを曲げることも、時には意に反することもあるかもしれない。それでも、芯にあるものは常に1本の糸を通し、その糸が切れてしまわないよう、歩いていく「力」。

そんな「力」を授かろう。

多くの神伝説があるこの地には、天に掛ける橋が今の時代にも受け継がれ、ずっと多くの方の力であるといいなと感じた。この日も、心地よい風が通抜ける。

小さな自分

子供の頃、曾祖母や曾祖父と一緒にお参りに行っていたお寺。今思うと、曾祖母も曾祖父も、70代だったと思うのだけれど、随分おばあちゃんで、随分おじいちゃんだったように思う。二人の手と手に小さな手をつないでもらい、幼かった自分はこのお寺の坂道を上り、お参りしていました。

ここには、幼い頃の記憶が住んでいる。

京都府京丹後市にある如意寺。「日切の不動さん」と呼ばれ、多くの人が日々参拝されている。この日はあいにく、夜には台風が通過すると言われていて、空模様も悪かったけれど、何となくお参りしたくなったので訪れました。そう言う場所。

ここにくると、小さな自分を思い出す。曾祖母や曾祖父を見上げた姿を。大きくて、ごつごつしていて、温かい手を。背中の曲がった後ろ姿を。自分を呼ぶかすれた声を。

いつでも思い出す。

ここには、何十回、もしかすると何百かもしれないくらい参拝に来ていて、自分の中での歴史が長いお寺。

本堂にあるこのお地蔵様は、体の悪い所と同じ場所をさすることで、病を取り除いてもらえると言われている。

その本堂の横手には、白い萩の花が一面に咲いていた。

この季節に供えられるお餅を「おはぎ」と呼び、春のお彼岸に供えるお餅を「ぼたもち」と呼ぶ由来の花の一つ。萩の花。牡丹の花。そんなことも曾祖父母から教えてもらった。

秋のお彼岸。

また、ここで、小さな自分と曾祖父母と再会する。

 

八咫烏(やたのからす)に導かれて

やたのからすの道案内。

ここは神話の世界の生き物が、人の世界で表現された姿を目に触れることが出来る神社。弓弦羽神社。

いつかきっと、道に迷わずたどり着くべき場所へ導いてくれる。

この日、やたのからすに自分を知って下さいと伝えてみた。生きている中で、多岐にわたる選択など、自分に迷い立ち止まることが多くある。それは他の人にとっては些細なことであったり、とても重要なことであったり。そんな時、お寺や神社を巡ることで、心を少し楽にしてもらえる。この時間がとても自分には大切なのです。そんな自分の負の部分を、やたのからすは見抜いてくれただろうか。

とても小ぢんまりとした神社で、境内は綺麗に掃除が行き届いていて、地元の方に愛されているのだなと感じることが出来る。参道にはとても大きな椋の木が神社を守っていて、木の呼吸が空気に連動し、微かな風が通り抜けた。

この風が、やたのからすの道しるべ。

きっと導いてくれると信じている。

桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきびだんご

猛暑だったこの日、岡山市は気温36度。空気中のあらゆる物質から熱を発しているかと思うほどの暑さで、車から降りた瞬間眩暈がする。

吉備津神社。

とても開放的で、多くの方が参拝されていた。

国宝の本殿は本当にすばらしく、美しい作りで、思わず「かっこいいなぁ」とつぶやいたほど。

鬼退治。

自分の中の鬼に、そして、人を苦しめる鬼に。

鬼退治。

桃太郎のお話のもととなった鬼退治伝説のように、変化自在に姿を変え、追求する力強さを肖ろうと手を合わせる。

鬼退治。

この本殿の少し横には、樹齢300年の銀杏の木が空高くそびえ立つ。その太く大きな幹が、その木の生きてきた年月を刻んでいる。どんな歴史を眺めながら、この場所で300年過ごしてきたのだろう。これから先、300年生きたなら、どんな未来を見ていくのだろう。

鬼退治。

少し鬼退治出来た気分になり、帰りは少し心が軽くなった気がする。良い時間を過ごせたことに感謝をして神社を後にした。

世の中に山てふ山は多かれど

この日はほとんど太陽の日差しは見えず、それでも多くの方がお参りされていたお寺。

比叡山延暦寺。

ここは根本中堂。鐘を撞くのに並ぶ人々。他の方を案内されていた方の話を小耳にしたところ、鐘を撞くことで願が叶うとされているとか。ずっと以前から一度は訪問したかった場所ではあったのに、あまり下調べもせずに来てしまい、詳しい歴史も、どうして人々が多く集まるのかも、知らずに訪れてしまった。それでも、心地よい風が吹き、帰るまで雨も降らず、何となく歓迎してもらえたのかもと少し嬉しくなったのでした。

基本的に、感覚で動く傾向のある自分は、あまり計画を立ててお参りなどするのではなく、自分の心が惹かれる場所を、その日の感覚のみで移動すると言う、とんでもなく無鉄砲な性格のため、知らないことをその場で知ることが多い。でも、そんな感じが好きで、あまり詳しく調べてしまうと新鮮な目でその場所を見て感じることが出来ないので、行き当たりばったりの方が楽しいのです。

釈迦堂。

階段を降りながら見えてくるこのお堂は、ラストエンペラーを思い出す建物。天気がよければ、とても綺麗だったのにと思う。移動に長い階段を降りる位置にあるお堂。それがとても新鮮に感じる。お寺でも神社でも、階段を昇ることが多い。この降りる位置から見えてくる光景が不思議な感覚と、迎えてくれる周囲の樹木がものすごく高く、吸い込まれていくような錯覚がある。

横川中堂。

曇っているのに、何故か日が差しているように明るく見える。ここが舞台作りと言われ、階段を昇るお堂。ここでは真剣に護摩に願い事を記されている方がいて、本当は自分もと思っていたけれど、邪魔になってはいけないなと思い、通り過ぎました。何か苦しまれていることがあって、ここへ来られていたのかもしれない。

いろいろな方のいろいろな思いがあふれ、それを受け止める場所として存在しているのだとしたら、大切に維持していかなければならないなと感じました。世界平和と記された蝋燭が灯されていて、どうかその願いが、世界中の方々に届きますようにと、自分も小さいながら手を合わせました。

その願いが届きますように。

極楽浄土の入り口

紫陽花の花を観たくてこのお寺へ行ってみたけれど、湿度がものすごく高く、気温も33度。過酷な山登りになってしまいました。

あまりにも暑いので、紫陽花も多くが頭を垂れていて、水分がほしいと訴えているようでした。紫陽花の季節が真夏なら良かったのかもしれない。兵庫県小野市にある浄土寺。山号を極楽山と言う。ここはもしかしたら極楽浄土への入り口かも。

裏山に入っていくと、小さなお地蔵様がかなりの箇所に点在し、その山道の周りに数種類の紫陽花がかなりの背丈で迎えてくれる。かなりの方が参拝を兼ねた紫陽花散策にこられていました。国宝の浄土堂があり、おそらく阿弥陀三尊系像など拝見出来たのだろうけれど、しっかり戸締りされている各種お堂は外からはその様子を見ることは出来ず。何人かの方は中へ上がっておられるようであったので、もしかすると予約か、お寺にお願いすると入らせて頂けるのかもしれない。

紫陽花を目的としていたので、とりあえず順路通り。

途中から紫陽花は無くなるけれど、どこへ向かうのかと歩き続けると、いつの間にか元の入り口に戻ってきた。それほど急な坂道とかある訳ではないのに蒸し暑さが体力を奪い、戻ってきたらすっかりぐったりとなってしまう。極楽浄土はそんなに簡単には行かせてもらえないらしい。

それでも鶯が鳴いていて、これで少し風でも吹いていれば、とても心地よく歩けたのかなと思いながら、歩いている時間はただひたすら、どこに行くのだろうと言う高揚感を体験することが出来ました。

外を歩くと言うことは、人にとって大切なことだなと感じることが出来て良かった。

たった一つの願い事

梅雨とは思えないくらい、夏らしい暑さのこの日。日中は日差しも強く気温も上昇しているけれど、蒸し暑さが無いので過ごしやすい。

ここ数週間、ほとんど外出していなかったので、とても心地よく感じたこの日。

出迎えてくれたのは見上げるほど大きな鳥居。昔の物は昔らしくが好ましく感じている自分にとって、無機質な材質の大きな鳥居はそれほど魅力を感じず、かえって残念に思っていたけれど、参道を進み、見えてきた境内はとても美しく、歴史を感じさせるもので、先ほどの残念感も払拭されました。

太陽の光と、樹木の陰。陰陽の色彩が美しい。

参拝がとても楽しみになる門。

ここは、兵庫県高砂市にある鹿嶋神社。

願い事を一つだけ叶えてくれると言われている。

一つだけ選ぶとしたら、自分は何を願えばいいのかなと考える。救いたいものが多くある。もちろん自分の力でそんなこと出来るはずもなく、そして、努力せずに救ってもらえるわけもない。それでも、救いたいものがあって、そう思う気持ちはいつかどんな形でも届くのではないかと信じていたい。

大きな芽の輪を八の字に潜ることで、身についていた穢れを除くことが出来ると言われている。自分の穢れを取り除いてもらおうと、自分もくるくる回る。人型の祈祷用紙に名前と年齢を記入し、稲穂料を一緒に納めるようになっていて、多くの方が一生懸命に記入されていた。これほど願わなければならないことがある人が多いのだなぁと思う。

自分もお願いしようと思って、お願いしたい人の名前と年齢を記入し、稲穂料を納めることに。願うことはただ一つ。大きなことでも小さなことでもなく、普通のこと。

帰りの参道には、柏餅が名物なのか、数店柏餅のお店が並ぶ。お店のおばさんが、保存方法や、戻し方などを教えてくれる。少し会話をしながらお餅を待っていて、関西弁ではあるけれど、大阪や京都とは少し違う音に、以前、一緒に仕事をしていた時の先輩を思い出し、そう言えば、こんな話し方だったなと懐かしく感じていた。

そんな懐かしい記憶と、太陽の光を久しぶりに感じることが出来、また気持ち新たに、がんばろうと思った、良い日となりました。

スズカ8時間エンデューロ2017 春SP

大会が終わって、時間が過ぎてしまいましたが、2017年5月28日、前回秋大会に出場しましたコラボラボ自転車倶楽部が、春大会にも出場しました。

前日の夜出発し、夜中12時半、鈴鹿サーキットへ到着。今回は2回目とあり、前回失敗だった準備も万全、大会に臨みました。

当日朝、早朝からかなり太陽の日差しが強く、真夏日。日陰の気温はそれほど高くないのに、、日向は突き刺さりそうなくらい痛い日差し。秋より少し出場人数は減って6,000人と発表されましたが、それでも多くのライダーが集い、サーキットは満杯状態。

今回もコラボラボ自転車倶楽部が出場したのは、4時間ミニ・リカンベント部門。bromptonでの出場です。

秋より太陽が高い。

雨が降るかと思っていたので、快晴で良かったけれど、ライダーの体力の消耗も激しくなりそうです。

まだレースが始まっていない早朝。

スタートは午前8時。多くのチームの皆さんが夜中から待機し、レースのスタートを待ちます。今回2回目とあって、コラボラボ自転車倶楽部も少し余裕の待ち時間。

スタートする少し前。

スタート地点に移動を開始される方。応援される位置に移動される方。ザワザワし始め、午前8時3分スタート。

前回20周に手が届く19周だったので、全員20周を目標としました。

早く終わらないと、ライダーの体力に限界がと思う反面、あと少し、時間があればと思いながら応援。多くのライダーの中からチームの皆を見つけることも難しく、カメラを構えて待っていても、気が付けば通り過ぎている始末。

後ろからガンバレーと声援を送るも、周りの応援に消される声。

そんな中でも、ライダーたちはがんばりました。

今回、コラボラボ自転車倶楽部は20周、4時間ミニ・リカンベントの部、第5位に入賞しました。

凄い!こんなに早く上位に入れるとは。

タイヤの径がかなり違う部門でもあり、この5位と言う順位は本当に大健闘でした。

本当にお疲れ様でした。

 

 

水流のままに

水は自分の意志で流れているわけではない。

でも、自分の意志があるかのように流れる水。

すごく壮大な景色の「吹割の滝」。

流れる川から水が宙にはじかれて、空気中に浮遊し、それが微粒子の霧となって周囲の樹木を潤してくれる。空気が違うのです。美味しい空気とは、こういうことを言うのだなと思わせてくれる。

美味しい。

ずっと呼吸をしていたくなる。

もしも、何かで心が疲れてしまったのなら、またこの滝を訪れてみようと思う。